武蔵国入間郡村誌/宗岡村

提供:シラキのコホリ

武蔵国入間郡村誌宗岡村項の現代語訳。宗岡村は入間郡に属したが、昭和十九年に水谷村・宗岡村・内間木村・志木町が合併して北足立郡志紀町となった。戦後に分立したが、その後、再び志木町と合併して現在の志木市となっているため、ここに取り上げるものである。

現代語訳=シラキのコホリのツカサ

宗岡(むねをか)村

本村は昔、古谷郷・仙波庄・河越領に属す

(村名の起こりはそのよしを伝えない。廻国雑記に、「宗岡というところを通りましたところ、夕のけむりを見て、〈夕煙 あらそふ暮れを 見せてけり わか家々の むね岡の宿〉」と詠まれたのは個々のことであろうから、古くからの地名であろう。しかし、今、地形をもって考えるに、このあたりに岡はまったくないので、もしくは昔この地を領した人の氏などによるのではないだろうか。また、名乗りなどをもって唱え始めたのかもしれないが、正しくはわからない(新編武蔵風土記稿))

(その昔、奥州往還であって、鎌倉への通路であった。文明・長享のころまで(1469~1489年)は宿駅があった。ゆえに上宿・中宿・下宿・横町などと唱える地がある。また、字五十井戸に一里塚の跡がある。榎の古木がある)

疆域

東は足立郡塚本・五関・新田・上大久保・下大久保・領家・中島・栄和・西堀・町谷・本宿・田嶋の12か村と荒川を隔てて相対する。南は新座郡上内間木村と小路で区切られ、宮戸村新河岸川で区切られる。西は本郡水子村志木宿と新河岸川中央が境界となる。北は本郡南畑新田・下難波田村と道路で区切られている。

幅員

  • 東西22町30間
  • 南北34町

管轄沿革

  • 天正十八年庚寅(1590年):徳川氏に属し、酒井河内守の封土となる
  • 慶長年間(1596~1615年):弟の備後守に替わる
  • 寛永十二年乙亥(1635年):堀田加賀守に替わる
  • 寛永十六年己卯(1639年):代官の管轄となる
  • 正保元年甲申(1644年):松平伊豆守の領地(331石)および岡部小次郎の采邑(212石7斗)となる
  • 元禄七年甲戌(1694年):すべて松平美濃守の領地になる
  • 宝永二年乙酉(1705年):代官の所轄に戻る
  • 正徳二年壬辰(1712年):村高を割いて(1639石1斗5升6合)秋元但馬守の領地とし、残り(32石4斗2升2合)はなお代官に属す
  • 天保十三年壬寅(1832年):秋元氏の封土は松平大和守に代わる
  • 明治元年戊辰(1868年):代官属地は武蔵知県事に属し、明治二年己巳(1869年)品川県となる。
  • 松平氏の領地は前橋藩となり、明治四年辛未(1871年)前橋県と改まり、品川県とともに入間県に属する
  • 明治六年癸酉(1873年):熊谷県の所轄となる

里程

  • 熊谷県庁より南方11里(三貫田より測る)
  • 四隣:下大久保村へ32町、五関村へ1里2町、塚本村へ1里7町、神田村へ1里14町、上大久保村へ1里10町、領家村へ1里10町、中島村へ1里18町、西堀村へ1里22町、町屋村へ1里10町、本宿村へ1里20町、田嶋村へ1里、南畑新田へ32町、志木宿へ14町50間、上内間木村へ31町
  • 近傍宿町:川越町へ3里34町、中仙道浦和宿へ2里22町25間、足立郡与野町へ1里15町10間、新座郡大和田町へ1里15町50間

地勢

  • 平坦。
  • 東に荒川を帯び、西南に新河岸川を帯びる。運漕に便利。
  • 薪・炭は乏しい。

地味

  • 色、赤・白が混じり、真土で、稲・粱に適さない。麦・桑に応じる。
  • 水は利便である。年々水害を被る。

税地

  • 田:113町7反9畝7歩
  • 畑:232町4反5畝27歩
  • 林:2畝8歩
  • 総計:346町2反7畝12歩


字地

  • 三貫田(さんくわんた):村の中央の地。東西3町30間、南北3町20間。
  • 五井戸(ごゐど):三貫田の北に連なる。東西3町、南北5町20間。
  • 散在(さんざい):五井戸の東に連なる。東西2町30間、南北9町20間。
  • 中散在沼(なかさんざいぬま):散在の東に連なる。東西1町50間、南北6町40間。
  • 大明神沼(だいみゃうじんぬま):中散在沼の東に連なる。東西2町10間、南北5町20間。
  • 大野(おほの):大明神沼の東に連なる。東西2町10間、南北12町50間。
  • 一貫野(いっくわんの):大野の東に連なる。東西2町10間、南北4町30間。
  • 堤附:一貫野の西に連なる。東西4町10間、南北3町50間。
  • 溝向(みぞむかう):堤附の西に連なる。東西2町10間、南北4町50間。
  • 新田場:溝向の西に連なる。東西9町、南北4町44間。
  • 内川端(うちかわばた):新田場の西に連なる。東西4町40間、南北4町10間。
  • 圦口(いりくち):内川端の北方にある。東西2町50間、南北1町50間。
  • 落合(おちあひ):圦口の東に連なる。東西4町30間、南北3町。
  • 東田(ひがした):落合の北に連なる。東西4町40間、南北2町20間。
  • 牛ヶ谷戸(うしがやと):東田の北に連なる。東西3町30間、南北2町。
  • 西田(にしだ):牛ヶ谷戸の南に連なる。東西2町10間、南北2町50間。
  • 馬場(ばんば):西田の西に連なる。東西1町20間、南北1町30間。
  • 蓮田(はすた):馬場の北に連なる。東西2町5間、南北2町30間。
  • 郷士(がうし):蓮田の西に連なる。東西55間、南北2町30間。
  • 下田屋鋪(げたやしき):郷士の北に連なる。東西3町10間、南北3町20間。

その他、宮前(みやまへ)、龍ヶ谷戸宿(りゃうがやとしゅく)、圦(いり)、東(ひがし)、三ツ木(みつき)、東前(ひがしまへ)、六反田(ろくたんだ)、圦前(いりまへ)、東光寺(とうくわうじ)、後(うしろ)、堤根(つつみね)、永沼(ながぬま)、佃(つくだ)、袋(ふくろ)、外新田(そとしんでん)、南野(みなみの)、精進場(しょうじんば)、権現堂(ごんげんどう)、籠島(かごしま)、橋下(はしした)、羽根倉(はねくら)、上宿(かみしゅく)、ビワ田、ヒル田、江口三ツ木町(えとどみつき)、相ノ田(あいのた)、五反田(ごだんた)、深町(ふかまち)、長田(ながた)、サラ沼、沼田道上(ぬまたみちかみ)、シャウブ沼、深沼浅間腰(ふかぬませんけんこし)の字がある。今、ここに略す。

  • 上・中・下(村内を三つに分けて称し、名主も三人で各3所を支配した)
  • 宿(もとはここに市が立っていたが、しばしば水災があったため、今は隣郡引又町へ移した。ここは鎌倉から奥州への古街道であったという。今も多く立ち並んでいるここに少しうずたかい塚がある。上に榎の一株が立っている。これがすなわち一里塚であり、これが古街道の証拠であるという)
  • 東光寺(東光寺というのは、そういう寺があったためであって、いつごろかこの寺号を足立郡内谷村に引いたとのこと。今も内谷村に東光と称する寺がある)
  • 羽倉河岸(ここも奥州古街道で、荒川の岸をいう。ここは船渡あり。対岸・足立郡下大久保村と当村との持である。また、足立郡田嶋村の内、秋加瀬というところへ通じる作場渡がある。もとより当村の持ではないという)

五位戸、江口、瀬戸、籠島(かごしま)、落合、蛭田(ひるた)、ミツキ町、三貫田、ビハ田、相ノ手、牛ヶ谷、上宿、下田屋敷(げたやしき)、フクロ、精進場、権現堂、ゴウシ、三ザヘ、永沼、大野、大野ヤタレ、ハライ、深川、佃(つくだ)、龍ヶ谷戸、馬場、サラ沼(新編武蔵風土記稿)

貢租

  • 地租:米476石7斗2升4合、金313円53銭1厘
  • 賦金:金4円50銭
  • 総計:米476石7斗2升4合、金318円3銭1厘

戸数

  • 本籍:336戸(平民)
  • 社20戸(村社5坐、平社15坐)
  • 寺6戸(真言宗2宇、曹洞宗1宇、堂3宇)
  • 総計362戸

人口

  • 男:879口
  • 女:953口
  • 総計:1832口(他、出寄留 11人、男7人、女4人、外寄留10人、男6人、女4人)

牛馬

  • 牡馬:79頭

舟車

  • 渡船:1艘
  • 艀船(はしけ):2艘
  • 荷車:9両(中車)

山川

  • 荒川:深いところ1丈5尺、浅いところ2尺、広いところ80間、狭いところ50間。緩流、薄く濁る。舟・筏を通す。堤防がある。村の北方、南畑新田から来て辰巳の方、上内間木村に入る。その間1里10町41間。
  • 羽根倉渡:与野道に属し、村の東方、荒川の上流にある。渡船1艘。私渡。
  • 秋ヶ瀬渡:浦和道に属し、村の東方、荒川の下流にある。渡船1艘。私渡。
  • 新河岸川:深いところ1丈5尺、浅いところ2尺、広いところ25間、狭いところ15間。緩流、薄く濁る。舟・筏を通す。堤防がある。村の北方、下南畑村から来て、南方、上内間木村に入る。その間1里23町24間。
  • 土橋:引又道に属し、村の西方、新河岸川の中流に架かる。長さ15間3尺、幅2間。土造。

道路

  • 引又道:村の東北、羽根倉渡船場から西方、志木宿との境界に至る。長さ23町34間、幅2間。
  • 浦和道:村の西方、志木宿との境界から東南、田島村との境界に至る。長さ23町29間3尺、幅2間。
  • 蕨道:村の西方、志木宿との境界から南方、上内間木村との境界に至る。長さ23町1間、幅9尺。
  • 掲示場:村の中央にある。

堤塘

  • 荒川除堤:荒川に沿い、村の北方、南畑新田との境界から辰巳の方、上内間木村との境界に至る。長さ1911間3尺、堤敷12間、馬踏6尺から9尺、高さ1丈2尺から1丈。根堅めに小竹がある。修繕費用は官に属する。
  • 新河岸川除堤:新河岸川に沿い、村の西北、下南畑村との境界から南方、上内間木村との境界に至る。長さ2841間、堤敷8間、馬踏5尺から8尺、高さ7尺から1丈2尺。根堅めに小竹がある。水門7か所あり。修繕費用は官に属する。
  • 築田堤:新河岸川に沿い、村の東北、字蓮田から起こり、西南、字宿に至る。長さ675間、馬踏3尺5寸、高さ5尺から8尺5寸、堤敷5間から3間半。水圦樋1か所ある。根堅めに小竹がある。修繕費用は官に属する。
  • 下之谷堤:新河岸川に沿い、村の西方、字下之谷にある。長さ303間、堤敷3間、馬踏6尺。水門1か所ある。修繕費用は民に属する。
  • 中堤:村の東北、荒川除堤から西南、新河岸川除堤に連続する。長さ539間、堤敷2間、馬踏9尺、高さ3尺。用水圦樋3か所ある。修繕費用は民に属する。
  • 一貫野堤:荒川に沿い、村の辰巳の方、字一貫野にある。長さ765間、堤敷2間、馬踏3尺、高さ4尺。修繕費用は民に属する。
  • 本野堤:荒川に沿い、村の東方、字本野にある。長さ402間、堤敷2間、馬踏3尺。修繕費用は民に属する。
  • 羽根倉堤:荒川に沿い、村の北方、字羽根倉などにある。長さ42間、馬踏3尺、高さ3尺、堤敷2間。修繕費用は民に属する。
  • いろは筧:内法1尺4寸四方、長さ197間5寸(内55間6寸埋樋は志木宿にある)。村の西方志木宿の地内から本村の字精進場へ架設し、玉川上水を多摩郡砂川村から分水している。寛文二年の設立である。この筧(懸樋)は48挺を用いているため「いろは」の号を付す。ゆえに里俗「いろは筧」という。承応二年、川越城主松平伊豆守が武蔵野新田に飲料が乏しいのを憂い、一条の溝渠を掘って、玉川上水を引き、引用に供する。土地の人はこれを伊豆殿堀と称する。寛文二年、本村地頭・岡部左兵衛の臣、白井武左衛門という者が水利の不便を嘆き、この筧を架設し、伊豆殿堀の下流を引き、灌漑の利を開く。今に至るもこれに頼る。
  • 久保田圦樋:内法幅4尺5寸、高さ3尺、長さ8間。村の南方、新河岸川除堤にある。
  • 籠嶋圦樋:内法幅4尺5寸、高さ3尺、長さ8間。村の南方、新河岸川除堤にある。
  • 落合圦樋:内法幅5尺5寸、高さ3尺、長さ8間。村の南方、新河岸川除堤にある。
  • 蓮田圦樋:内法幅5尺5寸、高さ3尺5寸、長さ7間。村の西南、新河岸川除堤にある。
  • 江口圦樋:内法幅5尺5寸、高さ3尺8寸、長さ8間。村の西方、新河岸川除堤にある。
  • 下野谷圦樋:内法幅5尺5寸、高さ3尺3寸、長さ6間。村の西方、新河岸川除堤にある。
  • 石橋大圦樋:内法幅5尺5寸、高さ3尺3寸、長さ8間。村の西方、新河岸川除堤にある。
  • 石橋小圦樋:内法4尺5寸、高さ3尺5寸、長さ6間3尺。村の西北、新河岸川除堤にある。
  • 築田用水圦樋:内法1尺4寸四方、長さ4間。村の北方、築田堤にある。用水路である。
  • 中堤用水圦樋:内法1尺4寸四方、長さ4間。村の南方、中堤にある。用水路である。

神社

  • 氷川社:村社。社地は東西28間4尺8寸、南北10間、面積317坪。村の西北にある。素戔嗚尊を祭る。承暦二年(1078年)3月勧請。祭日2月17日。
  • 浅間社:村社。社地は東西13間、南北43間3尺、面積565坪。村の北方にある。木花咲耶姫命を祭る。祭日6月1日。社中に銀杏の老樹あり。
  • 天神社:村社。社地は東西9間2尺4寸、南北40間、面積376坪。村の西方にある。菅原道真を祭る。祭日9月15日。
  • 氷川社:村社。社地は東西24間、南北13間4尺8寸、面積331坪。村の東方にある。素戔嗚尊を祭る。祭日9月15日。
  • 氷川社:村社。社地は東西22間1尺2寸、南北24間3尺、面積259坪。村の南方にある。素戔嗚尊を祭る。宝徳三年(1451年)9月19日勧請。祭日9月19日。
  • 稲荷社:平社。社地は東西10間3尺、南北10間、面積105坪。村の西北にある。稲倉魂命を祭る。
  • 八幡社:平社。社地は東西16間、南北8間3尺6寸、面積137坪。村の東北にある。応神天皇を祭る。祭日8月15日。
  • 稲荷社:平社。社地は東西6間3尺、南北2間3尺、面積16坪。村の北方にある。稲倉魂命を祭る。祭日2月初午。
  • 稲荷社:平社。社地は東西12間3尺、南北12間、面積150坪。村の北方にある。稲倉魂命を祭る。祭日同上。
  • 神明社:平社。社地は東西2間、南北11間、面積22坪。村の北方にある。天照皇大神を祭る。祭日9月19日。
  • 天津社:平社。社地は東西9間、南北2間2尺、面積21坪。村の北方にある。面足尊を祭る。祭日2月初午。
  • 稲荷社:平社。社地は東西3間2尺、南北9間、面積30坪。村の西方にある。稲倉魂命を祭る。祭日2月初午。
  • 稲荷社:平社。社地は東西10間、南北4間3尺、面積45坪。村の東方にある。稲倉魂命を祭る。祭日同上。
  • 稲荷社:平社。社地は東西7間2尺4寸、南北10間、面積74坪。村の南方にある。稲倉魂命を祭る。
  • 稲荷社:平社。社地は東西9間、南北12間2尺、面積11坪。村の南方にある。稲倉魂命を祭る。
  • 稲荷社:平社。社地は東西4間、南北9間3尺、面積38坪。村の東南にある。稲倉魂命を祭る。
  • 稲荷社:平社。社地は東西7間3尺、南北6間、面積45坪。村の東南にある。稲倉魂命を祭る。
  • 稲荷社:平社。社地は東西13間、南北16間、面積88坪。村の西方にある。稲倉魂命を祭る。
  • 大六天社:平社。社地は東西3間、南北11間、面積33坪。村の西北にある。面足尊を祭る。祭日なし。
  • 白山社:平社。社地は東西2間3尺、南北3間。面積8坪。村の西北にある。白山姫命を祭る。

仏寺

  • 大仙寺:東西30間3尺6寸、南北25間3尺6寸、面積783坪。村の北方にある。曹洞宗。足立郡領家村大泉院の末派である。昔、松木寮と称した草庵であったが、弘治二年(1556年)2月、僧・喜翁良悦が開基創建し、大仙寺と号す。
  • 千光寺:東西31間4尺5寸、南北24間1尺5寸、面積769坪。村の西北にある。真言宗。新座郡大和田町普光明寺の末派である。天慶四年(941年)、承興が開基創建した。応徳二年(1085年)、法印・権大僧都 善海が中興した。宝永六年(1709年)二月、当寺24代住職・大阿闍梨法印・正運の代に再興した。
  • 実蔵院:東西12間、南北15間4尺、面積188坪。村の中央にある。真言宗。新座郡志木宿宝幢寺[1]の末派である。昔、行者・澄平という者が草庵を創立したものを、明暦三年(1657年)沙門・宥啓が再興して宝蔵院と号する。
  • 地蔵堂:東西14間、南北4間2尺4寸、面積61坪。村の西北にある。
  • 観音堂:東西13間、南北4間、面積52坪。村の東方にある。
  • 大日堂:東西12間、南北5間、面積60坪。村の東南にある。

学校

  • 公立小学校:村の西方、実蔵院を仮用する。生徒 男80人、女20人。

役場

  • 村事務所:村の中央、戸長宅舎を仮用する。

物産

  • 米:1875石
  • 小麦:373石
  • 大豆:193石
  • 蚕豆:150石
  • 菜種:94石3斗
  • 芥子:33石
  • 桑:143駄

民業

  • 男は農工商を専らとし、女は耕作・織を専らとする。

注記

  1. 実蔵院の本寺について、原文では宝障寺とあるが、新編武蔵風土記稿では宝幢寺となっている。
武蔵国郡村誌
武蔵国新座郡誌
武蔵国新座郡村誌
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 新座市北部
志木宿 志木市南部
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 朝霞市の大半
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 和光市
橋戸村 練馬区大泉町付近
膝折村 朝霞市膝折
片山村 新座市南部
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 西東京市東部
小榑村 練馬区大泉学園町西大泉南大泉付近
武蔵国入間郡村誌より
針ヶ谷村 - 水子村 現富士見市内
宗岡村 志木市北部