武蔵国新座郡村誌/下保谷村
提供:シラキのコホリ
< 武蔵国新座郡村誌
- 現代語訳=シラキのコホリのツカサ
下保谷村(しもほうや)
本村のいにしえの郷・庄・領名とも神保谷村に同じ。
疆域
東は本郡小榑村と野道が境界となり、西南は本郡上保谷村および多摩郡田無・南沢・前沢などの数村と隣り合い、北は多摩郡落合村および本郡片山村などに接する。
幅員
- 東(字荒屋敷東境から)西(開発新田の西辺に至る)34町30間
- 南(字新田の南端から)北(字宮の脇に至る)24町40間
管轄沿革
- 天正十八年庚寅(1590年)徳川氏の所有となる。
- 正保(1644年~1648年)のころは村高305石7斗8升あって、代官の支配である。
- 寛文三年癸卯(1663年)、稲葉美濃守正則の提封とした。
- その子、正往の代に至り、天和三年癸亥(1683年)6月、移転して再び直管となった。
- 維新の際、高864石5斗3升3合を武蔵知県事に属させる。
- 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
- 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に転ずる。
- 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。
里程
- 熊谷県庁より南少し東13里。
- 四隣:本郡小榑村へ25町。片山村へ20町。多摩郡田無村へ1里。南澤村へ30町。前沢村へ1里。落合村へ20町。
- 近傍:大和田町へ2里。
※掲示場から測る。
地勢
- 高燥で水脈なく、また稲田がない。運輸は便利でないが、森林が多いため薪・炭は余りがある。
地味
- 赤・黒。その質は美・悪が相半ばし、菽・麦および桑・茶・藍葉などに適する。
税地
- 畑:238町2畝12歩
字地
- 坊ヶ谷戸(ぼうがやと):本村の北部にして、いにしえは貝谷戸と称したが、大泉坊がこの地にあったためこの称があるという。東西2町、南北7町10間。
- 入(いり):本村の西北部にある。いにしえは清戸道の東に曲り松という古木があった。その枝が路から西に差し出たため、枝入を誤って入と称したという。東西5町10間、南北11町30間。
- 松之木(まつのき):村の中央部にある。清戸路の東に曲がった松があったためこの称があるという。東西5町30間、南北5町30間。
- 上(かみ):本村正北部にある。いにしえ、神の字を用いていた。この字地に三十番神があるためであるという。東西3町10間、南北7町30間。
- 宮の脇(みやのわき):本村東北部にある。これもまた天満宮の辺りを称する。東西1町40間、南北6町20間。
- 荒屋敷(あらやしき):本村東部にある。北部の人民はいにしえ草萊[1]を開き、天和のころ(1681年~1684年)はじめて宅地を構えたためこの称があるという。東西4町15間、南北14町50間。
- 新田(しんでん):本村南部の総称で、荒屋敷と同じく宝永七年(1710年)中に開発したためである。この台をもと天神山という。これはいにしえ氏神天満宮の古祠を移したためである。天神山と称し、四隣に知らざる者はないという。東西5町30間、南北11町10間。
貢租
- 地租:金284円45銭1厘
- 賦金:金31円50銭
- 総計:金311円95銭1厘
戸数
- 本籍:121戸(平民)
- 寄留:1戸(平民)
- 社:3戸(村社1坐、平社2坐)
- 寺:1戸(日蓮宗)
- 総計:126戸
人口
- 男:346口
- 女:352口
- 総計:698口
- 他、出寄留6人(うち、男3人、女3人)外寄留10人(うち、男5人、女5人)
牛馬
- 牡馬:4頭
舟車
- 荷車:56両(67中車)
山川
- '悪水路:村の西の方、上保谷村から来て、中央を貫流して東の方、小榑村に入る。その間14町45間。
森林
- 林:土地の人は開発の林と称する。民有地である。東西10町・南北20町。反別50町あまり。本村の西端にある。コナラが多くときどき檞(カシワ)の木がある。大樹はなく、ところどころに痩松が生えている。
池沼
- 大泉坊ヶ池:村の中央、字坊ヶ谷戸にある。深いところ1丈、東西5間、南北16間。村民蓮見某の所有地である。いにしえ、今の小榑村大乗院を大泉坊と称し、この辺にあったためにこの称がある。今、土地の人が誤って「どをせん坊ヶ池」と称している。毎年3月、ヒキガエルが数万集まって交合し、夜間人の往来を妨げるに至るがゆえに蟇ヶ池とも唱えるという。
道路
- 村路:清戸道という。南の方、豊島郡関村から北の方、本郡片山村に至る。その間30町、幅2間半。
- 掲示場:本村中央にある。昔は上保谷村と一つであったが、宝暦四年(1754)に今のところに移した。
神社
- 天神社:村社。社地は東西30間・南北50間・面積150坪。本村の東北部にある。いにしえ菅原道真を祭っていた。後、祠廟が大破し、天正のころ、日蓮宗に改宗のとき、三十番神を勧請した。後、また衰破したのを、元文元年、妙覚寺の日近という者が修造した。明治元年、神仏混淆廃止の際、また天神社と称する。祭日9月20日。境内に大樹が茂っていたが、明治元年に伐採して、ただ松・椵(モミ)の大株があるのみ。
- 稲荷社:平社。社地は東西15間・南北6間・面積90坪あまり。本村の東南、字新田にある。倉稲魂命を祭る。祭日2月12日。勧請年月未詳。
- 稲荷社:平社。社地は東西7間・南北20間・面積140坪あまり。本村の北、字荒屋敷にある。祭神・祭日は上に同じ。
仏寺
学校
- 公立小学校:本村の中央にある。生徒 男40人、女15人。
村事務所
- 字坊ヶ谷戸にある。
古跡
- 経塚:高さ1丈、周囲10間。荒屋敷の中央にある。土地の人が言うには、本村は元真言宗だったが、ことごとく改宗したとき、その仏具をこの塚に埋めたという。年暦は詳らかではない。
- 鷹野陣屋:東西20間、南北15間。村民・蓮見某の所有地にある。徳川氏のころ、名古屋侯(尾張徳川家)が鷹狩りのときは小憩所とし、臣下に毎年交番させた。元和年中(1615年~1624年)の創建であったが、明治元年に至り、廃止した。今、学校のあるところがこれである。
- 内匠ヶ原:民有地であり、東方十町にある。もとはこの地一円は萱の原であったが、寛文年中(1661年~1673年)、三十番神の神官・本橋内匠がこの地を開いた。よってこの称がある。内匠はもと大坂の浪士であるという。
物産
- 岡穂米:88石7斗
- 大麦:716石3斗
- 小麦:372石3斗
- 大豆:189石あまり
- 小豆:5石
- ソバ:189石5斗
菽・麦は余嬴があって、藍葉とともに東京もしくは入間郡所沢辺に輸出している。
民業
- 男女おおむね農を専らとする。
注記
- ↑ 草萊(そうらい):雑草の茂った土地。
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