武蔵国新座郡村誌/下新倉村
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< 武蔵国新座郡村誌
- 現代語訳=シラキのコホリのツカサ
下新倉村(しもにひくら)
本村はいにしえの郷・庄・領などの名、及び上下に分かれた年暦は上新倉村の条に述べたとおりである。[1]
疆域
東は豊島郡成増村と野川が境界となっており、南は本郡白子と野道を挟む。西は本郡橋戸・上新倉の両村に接する。北は荒川を隔てて足立郡の内谷・下笹目の2村と隣り合っている。
幅員
- 東(字吹上 成増村界 野川縁から)西(白子・上新倉両村の境、広沢原の西端に至る)32町50間
- 南(字中新田・白子村境から)北(字雑丹袋荒川境に至る)18町50間
管轄沿革
- 天正十八年庚寅(1590年)、徳川氏の所領となり、酒井河内守重忠に賜う。
- 慶長年中、その弟・酒井備後守忠利に代わる。
- 寛永のはじめ、忠利の子・忠勝に至って、弟・壱岐守忠重(つまり忠利の三男)に与える。
- 正保のころ、村高396石6升9合。酒井内記の所有となる。(この内記という者は壱岐守の子であろうか。『新編武蔵風土記稿』に「壱岐守(はじめ内記)」とあるが、『大成武鑑』に、寛永四年忠利が嫡子・忠勝遺領を継ぎ、弟・壱岐守忠重に2000石の地を分与したことが見えるため、この内記という者は忠重とは別人であろうか。そうでないと年歴が合わない)その子孫が世襲した。
- 今、古高450石4斗5升1合となり、その410石4斗9升8合は酒井某の采地であり、39石9斗5升3合は代官の支配である(当初の酒井某の食邑の一部を収めて直轄の地としたのではない。別に新墾したものであって、正保の『武蔵田園簿に載っている外永6貫122文野銭とあるのがこれである)
- 維新の際、ともに武蔵知県事に属する。
- 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
- 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に転ずる。
- 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。
里程
- 熊谷県庁より南少し東13里半。
- 四隣:豊島郡成増村(中央)へ3町15間1尺。足立郡下笹目村(字早瀬の渡頭へ)へ17町34間3尺。本郡上新倉村(中央)へ9町55間3尺。白子村(中央)へ15町16間5尺。
- 近傍:志木宿へ2里あまり(元標の位置は字吹上とする)
地勢
- 大半が高く乾燥して平坦。東北の一隅は平低で、崖下に水田が開け、その辺境に荒川が控える。また東に野川を帯びて、運輸に便利。薪木は乏しくない。
地味
- 赤・白・黒の三種で、その質は悪く、甘藷・蘿蔔(ダイコン)に適するものの、稲・粱・菽・麦にはよくない。荒川縁に軟細沙があって桑樹に適している。水便の便が乏しく、かえって水害のわざわいを免れない。
税地
- 田:49町2反2畝15歩
- 畑:179町2反2畝13歩
- 総計:228町4反2畝28歩
飛地
- 本村の西方、小榑・橋戸2村の間、畑(15町2畝6歩)、林(7反6畝27歩)、宅地(1町8反6畝8歩)、墓地(3畝25歩)、薮地(11歩)
字地
- 雑丹袋(ぞうたんふくろ):村の東北にある。東西5町40間、南北4町10間。
- 芝宮(しばみや):雑丹袋の東南に連なる。東西7町25間、南北6町10間。
- 吹上:芝宮の西南に連なる。東西4町40間、南北10町10間。
- 本村(ほんむら):吹上の西に連なる。東西6町35間、南北8町40間。
- 仏の本:本村の西南に連なる。東西5町40間、南北5町。
- 中新田(なかしんでん):仏の木の南に連なる。東西3町50間、南北6町20間。
- 谷戸:中新田の西に連なる。東西6町30間、南北6町40間。
- 浅久保:谷戸の西南に連なる。東西9町10間、南北12町10間。
- 広沢原(ひろさわはら):浅久保の西に連なる。東西4町50間、南北4町30間。
- 二軒新田:浅久保の西南に連なる。東西5町40間、南北4町20間。
貢租
- 地租:米176石4斗9升4合、金193円28銭9厘
- 賦金:金162円37銭4厘
- 総計:米176石4斗9升4合、金355円66銭3厘
戸数
- 本籍:211戸(平民)
- 社:7戸(村社1坐、平社6坐)
- 寺:4戸(臨済宗2宇、日蓮宗1宇、曹洞宗1宇)
- 堂:1戸
- 総計:223戸
人口
- 男:671口(平民)
- 女:665口(平民)
- 総計:1326口
牛馬
- 牡馬:40頭
舟車
- 荷船:14艘
- 漁業船:4艘
- 水害予備船:16艘
- 計:34艘
- 人力車(1人乗):10両
- 車:82両(人力9両、荷車73両)
山川
- 荒川:幅おおむね50間。上新倉村から来て、村の北境を流れ、字雑丹袋でまた上新倉村の地内に沿い、再び来て東の方、豊島郡成増村に入る。その間、合わせて14町22間。
- 野川:幅1間半。白子村から来て、村の東、成増村の境を流れて荒川に入る。その間29町35間。
- 野川橋:里道に属し、字芝宮にあって、野川の中流に架かっている。幅6尺、長さ2間。石造。
- 正覚院橋:同上。字吹上にあって、野川の上流に架かっている。幅6尺、長さ1間半。石造。
- 下関橋:用水路に架かっている。幅6尺、長さ7尺。石造。
- 谷中橋:耕作道に属し、悪水の中流に架かっている。幅6尺、長さ7尺。石造。
- 庚塚橋:同上。幅6尺、長さ7尺。土造。
森林
- 林:広沢原といい、民有に属する。東西292間半・南北632間半・反別61町6反6畝6歩。ナラ・痩松が生え、薪材に用いるのみ。
このほか、小さな林・薮が散在している。一々載せるほどではない。
池沼
- 矢島池:本村の西にあって、その周囲98間、深いところ4尺、面積270坪。下流は耕田の用水となる。
- 赤池:周囲39間、深いところ8尺、面積60坪あまり。その河流は野川に入る。
道路
- 川越街道:本村の西方にある。東南の方、白子村の界から西北の方、上新倉村界に至る。幅4間、長さ8町あまり。それがようやく尽きようとするところから右折して、志木宿に達する里道がある。幅2間半、長さ2町27間4尺あまり。
堤塘
- 堤:荒川に沿い、村の東北にあって、上新倉村境から村内字吹上の南端に至って絶つ。長さ17町10間1尺8寸。馬踏6尺、堤敷14間。ただし水門二か所。修繕費用は官に属する。
- 堤:境田堤と称し、田囲で村の西にある。長さ4町6間4尺8寸。馬踏2間、堤敷2間半。
陵墓
- 隅田五郎時光父子の墓:あるいは墨田とも書く。本村の廃跡である旧妙典寺の境内にある。時光という者は文永の頃(1264年~1275年)の人であって、この地の領主であったが、故あって弘安年中(1278年~1288年)、子の徳丸とともに剃髪し、日蓮宗に入った。時光は日徳と号し、その子は日堅と称した。日徳は正中二年(1325年)12月12日、日堅は元徳元年(1329年)3月26日に入寂したという。その墓碑は青石で2塔ある。
神社
- 氷川八幡社:村社。社地は東西35間・南北40間・面積1400坪あまり。村の中央、字本村にある。素戔嗚尊・応神天皇の二合を祭る。言い伝えに、八幡社は寛治五年(1091年)創建し、氷川社は文禄三年(1594年)に合殿に勧請したという。祭日6月15日、また2月9日湯花神楽を執行する。
- 八幡社:平社。社地は東西10間・南北38間・面積380坪あまり。村の東辺、字吹上の観音堂の傍らにある。応神天皇を祭る。享保二年(1717年)、修験正覚院祐慶という者が創建したと伝える。
- 稲荷社:平社。社地は東西4間・南北5間・面積22坪。松原稲荷という。保食神を祭る。
- 稲荷社:久寿川稲荷という。平社。社地は東西10間・南北23間・面積230坪。祭神は上と同じ。
- 稲荷社:谷中稲荷という。平社。社地は東西12間・南北20間・面積240坪。祭神は上と同じ。
- 稲荷社:浅久保稲荷という。平社。社地は東西44間・南北25間・面積600坪。祭神は上と同じ。
- 浅間社:平社。社地は東西60間・南北29間・面積1740坪。木花開耶姫命を祭る。言い伝えに、慶長年中の創建であるという。
仏寺
- 金泉寺:東西30間・南北20間8歩・面積600坪。臨済宗 相模国鎌倉建長寺の末派である。本村の北にある。応永年中の創建であるというが詳らかではない。
- 妙典寺:東西54間・南北23間・面積1620坪あまり。法華宗 足立郡新曽村妙顕寺の末派である。村の中央にある。弘安三年、僧日徳開基創立である。日徳は隅田五郎時光の剃髪後の名である。
- 壱鑑寺:東西20間・南北23間・面積460坪あまり。村の北、金泉寺の西にある。曹洞宗 近江国栗太郡浮気村源昌寺の末派である。寛永の頃、酒井壱岐守忠重が開基した。
- 東明寺:東西15間・南北22間・面積330坪あまり。臨済宗。本村金泉寺の末派である。村の東辺にある。永享の頃、僧慶堂資善が開基創立したという。
- 観音堂:村の東辺、字吹上にある。ゆえに吹上観音堂と称する。東西23間・南北40間・面積540坪あまり。言い伝えに、聖武天皇の時代、天平年間、この地において天竺の椋樹をもって行基菩薩が一刀三礼、長さ8寸の尊像を彫刻し、字赤池という池の傍らに安置してあったのを、後に開山智覚普明国師が開創し、今の地に移したという。その後、寛永の初め、沙門浄西という者が諸堂を造営した。その後、安永五年12月10日の夜、回禄の災い(火災)があり、諸堂が焼失した。当時、村民に伊三郎という者がいた。鎌で灰をかいてみたところ、尊像が見つかった。そのころ、当村に一人の女がいた。名を観命と号し、神通力を得て自ら請願を起こし、再びこの堂を経営したところ、日ならずして堂宇が竣功して、今の堂となった。観命は閑居して自ら肖像を彫って文政六年2月15日、自ら日を放って焼亡し、遺骨もわからなくなったという。毎年四度、遠近の男女が群集して市をなす。これは霊験があると伝えられるためである。この地は一つの丘が平野に突起し、東の方、荒川の左右を望めば青山が目に遮り、帆舟が木の間を過ぎていくようにみえるので、すこぶる佳景である。
村事務所
- 当時の戸長宅舎を用いる。
古跡
- 古宅跡:天正十年、甲斐武田氏の城将・原隼人正の子、外記という者が戦に敗れてこの地に来、氏を柳下と改めて隠遁した。その子孫がすなわち現在の戸長・柳下某であるという。
- 妙連寺廃跡:村の西の方、字谷戸にある。法華宗。廃止の年暦ははっきりしない。
- 東福寺廃跡:村の中央、字本村にある。真言宗。明治元年廃止された。
物産
- 米:556石5斗
- 麦:1127石4斗5升5合
米・麦、甘藷・蘿蔔(ダイコン)などの余嬴を東京辺りに販売している。
民業
- 男女とも農業を専らとする。
注記
| 武蔵国新座郡村誌 | |
|---|---|
| 大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 | 現新座市北部 |
| 志木宿 | 現志木市南部 |
| 上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 | 現朝霞市の大半 |
| 上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 | 現和光市 |
| 橋戸村 | 現練馬区大泉町付近 |
| 膝折村 | 現朝霞市膝折 |
| 片山村 | 現新座市南部 |
| 上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 | 現西東京市東部 |
| 小榑村 | 現練馬区大泉学園町・西大泉・南大泉付近 |
| 武蔵国入間郡村誌より | |
| 針ヶ谷村 - 水子村 | 現富士見市内 |
| 宗岡村 | 現志木市北部 |