武蔵国新座郡村誌/下保谷村

提供:シラキのコホリ
2026年6月21日 (日) 23:08時点におけるシラキのコホリのツカサ (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

武蔵国新座郡村誌下保谷村項の現代語訳。

現代語訳=シラキのコホリのツカサ

下保谷村(しもほうや)

本村のいにしえの郷・庄・領名とも神保谷村に同じ。

疆域

東は本郡小榑村と野道が境界となり、西南は本郡上保谷村および多摩郡田無・南沢・前沢などの数村と隣り合い、北は多摩郡落合村および本郡片山村などに接する。

幅員

  • 東(字荒屋敷東境から)西(開発新田の西辺に至る)34町30間
  • 南(字新田の南端から)北(字宮の脇に至る)24町40間

管轄沿革

  • 天正十八年庚寅(1590年)徳川氏の所有となる。
  • 正保(1644年~1648年)のころは村高305石7斗8升あって、代官の支配である。
  • 寛文三年癸卯(1663年)、稲葉美濃守正則の提封とした。
  • その子、正往の代に至り、天和三年癸亥(1683年)6月、移転して再び直管となった。
  • 維新の際、高864石5斗3升3合を武蔵知県事に属させる。
  • 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
  • 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に転ずる。
  • 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。

里程

  • 熊谷県庁より南少し東13里。
  • 四隣:本郡小榑村へ25町。片山村へ20町。多摩郡田無村へ1里。南澤村へ30町。前沢村へ1里。落合村へ20町。
  • 近傍:大和田町へ2里。

※掲示場から測る。

地勢

  • 高燥で水脈なく、また稲田がない。運輸は便利でないが、森林が多いため薪・炭は余りがある。

地味

  • 赤・黒。その質は美・悪が相半ばし、菽・麦および桑・茶・藍葉などに適する。

税地

  • 畑:238町2畝12歩

字地

  • 坊ヶ谷戸(ぼうがやと):本村の北部にして、いにしえは貝谷戸と称したが、大泉坊がこの地にあったためこの称があるという。東西2町、南北7町10間。
  • (いり):本村の西北部にある。いにしえは清戸道の東に曲り松という古木があった。その枝が路から西に差し出たため、枝入を誤って入と称したという。東西5町10間、南北11町30間。
  • 松之木(まつのき):村の中央部にある。清戸路の東に曲がった松があったためこの称があるという。東西5町30間、南北5町30間。
  • (かみ):本村正北部にある。いにしえ、神の字を用いていた。この字地に三十番神があるためであるという。東西3町10間、南北7町30間。
  • 宮の脇(みやのわき):本村東北部にある。これもまた天満宮の辺りを称する。東西1町40間、南北6町20間。
  • 荒屋敷(あらやしき):本村東部にある。北部の人民はいにしえ草萊[1]を開き、天和のころ(1681年~1684年)はじめて宅地を構えたためこの称があるという。東西4町15間、南北14町50間。
  • 新田(しんでん):本村南部の総称で、荒屋敷と同じく宝永七年(1710年)中に開発したためである。この台をもと天神山という。これはいにしえ氏神天満宮の古祠を移したためである。天神山と称し、四隣に知らざる者はないという。東西5町30間、南北11町10間。

貢租

  • 地租:金284円45銭1厘
  • 賦金:金31円50銭
  • 総計:金311円95銭1厘

戸数

  • 本籍:121戸(平民)
  • 寄留:1戸(平民)
  • 社:3戸(村社1坐、平社2坐)
  • 寺:1戸(日蓮宗)
  • 総計:126戸

人口

  • 男:346口
  • 女:352口
  • 総計:698口
  • 他、出寄留6人(うち、男3人、女3人)外寄留10人(うち、男5人、女5人)

牛馬

  • 牡馬:4頭

舟車

  • 荷車:56両(67中車)

山川

  • '悪水路:村の西の方、上保谷村から来て、中央を貫流して東の方、小榑村に入る。その間14町45間。

森林

  • :土地の人は開発の林と称する。民有地である。東西10町・南北20町。反別50町あまり。本村の西端にある。コナラが多くときどき檞(カシワ)の木がある。大樹はなく、ところどころに痩松が生えている。

池沼

  • 大泉坊ヶ池:村の中央、字坊ヶ谷戸にある。深いところ1丈、東西5間、南北16間。村民蓮見某の所有地である。いにしえ、今の小榑村大乗院を大泉坊と称し、この辺にあったためにこの称がある。今、土地の人が誤って「どをせん坊ヶ池」と称している。毎年3月、ヒキガエルが数万集まって交合し、夜間人の往来を妨げるに至るがゆえに蟇ヶ池とも唱えるという。

道路

  • 村路:清戸道という。南の方、豊島郡関村から北の方、本郡片山村に至る。その間30町、幅2間半。
  • 掲示場:本村中央にある。昔は上保谷村と一つであったが、宝暦四年(1754)に今のところに移した。

神社

  • 天神社:村社。社地は東西30間・南北50間・面積150坪。本村の東北部にある。いにしえ菅原道真を祭っていた。後、祠廟が大破し、天正のころ、日蓮宗に改宗のとき、三十番神を勧請した。後、また衰破したのを、元文元年、妙覚寺の日近という者が修造した。明治元年、神仏混淆廃止の際、また天神社と称する。祭日9月20日。境内に大樹が茂っていたが、明治元年に伐採して、ただ松・椵(モミ)の大株があるのみ。
  • 稲荷社:平社。社地は東西15間・南北6間・面積90坪あまり。本村の東南、字新田にある。倉稲魂命を祭る。祭日2月12日。勧請年月未詳。
  • 稲荷社:平社。社地は東西7間・南北20間・面積140坪あまり。本村の北、字荒屋敷にある。祭神・祭日は上に同じ。

仏寺

  • 福泉寺:東西25間・南北20間。小榑村日蓮宗妙福寺の末派である。村の東方にある。天正四年2月26日、北越の人、日眼が創立。そのとき、蓮蔵坊と称する。改称の年暦未詳。

学校

  • 公立小学校:本村の中央にある。生徒 男40人、女15人。

村事務所

  • 字坊ヶ谷戸にある。

古跡

  • 経塚:高さ1丈、周囲10間。荒屋敷の中央にある。土地の人が言うには、本村は元真言宗だったが、ことごとく改宗したとき、その仏具をこの塚に埋めたという。年暦は詳らかではない。
  • 鷹野陣屋:東西20間、南北15間。村民・蓮見某の所有地にある。徳川氏のころ、名古屋侯(尾張徳川家)が鷹狩りのときは小憩所とし、臣下に毎年交番させた。元和年中(1615年~1624年)の創建であったが、明治元年に至り、廃止した。今、学校のあるところがこれである。
  • 内匠ヶ原:民有地であり、東方十町にある。もとはこの地一円は萱の原であったが、寛文年中(1661年~1673年)、三十番神の神官・本橋内匠がこの地を開いた。よってこの称がある。内匠はもと大坂の浪士であるという。

物産

  • 岡穂米:88石7斗
  • 大麦:716石3斗
  • 小麦:372石3斗
  • 大豆:189石あまり
  • 小豆:5石
  • ソバ:189石5斗

菽・麦は余嬴があって、藍葉とともに東京もしくは入間郡所沢辺に輸出している。

民業

  • 男女おおむね農を専らとする。

注記

  1. 草萊(そうらい):雑草の茂った土地。
武蔵国郡村誌
武蔵国新座郡誌
武蔵国新座郡村誌
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 新座市北部
志木宿 志木市南部
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 朝霞市の大半
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 和光市
橋戸村 練馬区大泉町付近
膝折村 朝霞市膝折
片山村 新座市南部
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 西東京市東部
小榑村 練馬区大泉学園町西大泉南大泉付近
武蔵国入間郡村誌より
針ヶ谷村 - 水子村 現富士見市内
宗岡村 志木市北部