武蔵国新座郡村誌/根岸村・台村

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武蔵国新座郡村誌根岸村・台村項の現代語訳。

現代語訳=シラキのコホリのツカサ

根岸村(ねぎし)・台村(だい)

両村の地形としては、一戸・一畔が転々と錯綜している。このため、実際にその地について村名を問うても戸ごとに唱えを異にするに至っている。ゆえに、どちらをその村とはっきりと境界を弁別することは難しい(改租の際、すでに両村を合併し、若柳村と改称したことを申請するに至った。しかし、飛地の処分に食い違いがあるため、ついにそうはならずに終わった)。よって、今、疆域・幅員・地勢・地味・字地・山川・池沼・道路などは両村のはじめにおいて併せてこれを編集した。

疆域

東・南の二面は悪水路をもって上新倉村との境界とし、西は岡村に接し、東・北の間は新河岸川をもって上内間木村を限り、黒目川をもって田島村に隣り合っている。

幅員

  • 東(字四反田から)西(字宮原に至る)10町40間
  • 南(字流山から)北(字下手町に至る)20町

地勢

  • おおむね平坦であって、東西に長く、南北に短い。東北隅の一方の辺は水田が開け、新河岸・黒目の両川を帯び、運輸の便を得た。炭は乏しいが、薪は余嬴がある。

地味

  • 耕田は黒・白、陸田は赤・黒の交種であって、稲・粱(あわ)・菽(まめ)・麦に適しにくい。水辺に沿っているが、その便を得ることは少なく、時々洪水のわざわいを被る。陸田もまた旱魃に苦しむ。

字地

  • 根岸(ねぎし):村の中央にある。東西8町20間・南北6町50間。
  • 谷中(やなか):根岸の北に連なる。東西5町10間・南北7町25間。
  • 内間木前(うちまきまへ):谷中の東に連なる。東西3町45間・南北7町。
  • 久天(くてん):内間木前の南に連なる。東西4町5間・南北6町10間。
  • 郷戸(がうど):久天の南に連なる。東西4町50間・南北8町10間。
  • 向原:郷戸の西南に連なる。東西5町20間・南北7町20間。
  • 新井前(あらゐまへ):向原の西北に連なる。東西6町10間・南北10町20間。

山川

  • 新河岸川:幅15間、深いところ4尺。村の北の方、田嶋村から来て東北の境を流れ、東の方、上新倉村に入る。その間14町55間、幅7間。
  • 黒目川:深いところ3尺、浅いところ1尺。西北の方、岡村から来て田嶋村の境界を東に流れ、字下手町で新河岸川に合流する。その間11町25間。
  • 笹橋:村路に属する。村の北の方、黒目川に架かり、本村から岡村に通す。長さ7間、幅2間。土造。

池沼

  • 溜池:東西28間、南北29間。周回120間。村の東の方、字久天にある。両村の用水とする。

道路

  • 川越街道:本村の坤(南西)の方、飛地字広沢林にある。辰(東南東)の方で上新倉村の境界から戌(西北西)の方、岡村との境界に入る。長さ3町30間、幅4間。その他村路は数条ある。一々記載するに足らず。

根岸村

本村はいにしえ新倉郷広沢庄野方領に属する。

管轄沿革

  • 天正十八年庚寅(1590年)、徳川氏の所有となる。
  • 正保のころ(1644年~1648年):村高475石。そのうち250石を旗下士内藤半弥、200石を松平隼人らの采地とし、余る25石を代官の支配とする。
  • 元禄のころから(1688年~1704年):すべて代官の支配となる(内藤・松平の食邑を転収した年代は未詳。また、村吏がいうには、「元禄三年(1690年)9月から松平美濃守が知行したと伝えている」と。しかし、『新編武蔵風土記稿』に、「元禄三年、松平潔兵衛・八木仁兵衛の検地である。このころは御料所ばかりで、私領の入会はない」と載せている。これによって考えれば、美濃守が知行したとは解せない。よって、捨てて採らなかった。)
  • 維新の際は高427石9斗3升7合となり、武蔵知県事に属する。
  • 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
  • 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に転ずる。
  • 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。

里程

  • 熊谷県庁より南少し東13里5町。
  • 四隣:下内間木邑(元標)へ15町。岡村(元標)へ10町。上新倉村(元標)へ15町。田島村(元標)へ12町。
  • 近傍:志木宿へ1里5町。大和田町へ2里(字根岸の掲示場から測る)

税地

  • 田:17町6反6畝18歩
  • 畑:95町9反6畝7歩
  • 総計:113町6反2畝25歩

飛地

  • 本村艮(北東)の方、下内間木村の内、芝生地(5反1畝1歩)
  • 坤(南西)の方、近傍入会地の内林(広沢原という。反別18町2反6畝)

貢租

  • 地租:米62石8斗6升8合、金130円72銭1厘
  • 賦金:金13円95銭
  • 総計:米65石2升、金85円44銭

戸数

  • 本籍:81戸(平民)
  • 社:3戸(平社)
  • 寺:1戸(真言宗)
  • 堂:1戸
  • 総計:86戸

人口

  • 男:253口(平民)
  • 女:255口(同上)
  • 総計:508口

牛馬

  • 牡馬:21頭

舟車

  • 荷船:9艘(90石積8艘、65石積1艘)
  • 漁船:2艘
  • 水害予備船:1艘
  • 総計12艘
  • 荷車:9両(中小)
  • 農業車:10両
  • 総計:19両

神社

  • 須賀社[1]:平社。社地は東西5間半・南北8間・面積44坪。村の北の方にある。素戔嗚尊を祭る。祭日未定。
  • 天神社:平社。社地は東西4間・南北8間・面積32坪。村の北の方にある。菅原道真を祭る。祭日未定。
  • 稲荷社:平社。社地は東西4間・南北4間・面積16坪。村の西の方にある。祭神未詳。祭日定めず。

仏寺

  • 金剛寺:東西20間・南北24間・面積480坪。新義真言宗 豊島郡上石神井村三宝寺の末派である。村の中央にある。開基創建は詳らかではない。『新編武蔵風土記稿』に、「この地は堯諄房法印の開山である。年代は詳らかではないが、慶長三年(1598年)にこの法印が多磨郡清戸下宿の円通寺に転じたとあるので、文禄年中もしくは慶長の造立であろう」と載っている。
  • 大日堂:東西5間・南北6間・面積30坪。村の西の方にある。創建未詳。

村事務所

  • 村の中央にある。金剛寺を仮用する。

物産

  • 米:169石6斗
  • 麦:276石
  • 大豆:77石3斗

菽(まめ)、麦、甘藷などの余嬴があって、近傍の町村に販売している。

民業

  • 男女とも農業を専らとする。

台村(だい)

本村はいにしえは根岸村と一村であったか。正保の後分かれて独立の一村となる(年暦は詳らかではないが、正保の図にこの村名を載せず、元禄の図に見えるので、その間のことであろう)

郷・庄・領も根岸村に同じ。

管轄沿革

分村のころは根岸村と同じ。その後、直轄代官の支配となる。

  • 維新の際、村高361石6斗3合2勺あって、武蔵知県事に属する。

以下また根岸村に同じ。

里程

  • 熊谷県庁より南少し東13里半。
  • 四隣:岡村(元標)へ12町。上新倉村(元標)へ12町。下内間木村(元標)へ20町。
  • 近傍:志木宿(元標)へ1里10町。大和田町(元標)へ2里(字郷戸掲示場から測る)

税地

  • 田:11町9反1畝4歩
  • 畑:74町8反9畝29歩
  • 総計:86町8反1畝3歩

飛地

  • 本村艮の方、下内間木村の内、芝生地(4反4畝29歩)
  • 坤の方、近傍入会地の内、林(14町5反29歩)、畑(3町7反2畝20歩)

貢租

  • 地租:米45石8斗、金104円74銭8厘
  • 賦金:金90銭
  • 総計:米45石8斗、金105円64銭8厘

戸数

  • 本籍:59戸(平民)
  • 社:4戸(村社1坐、平社3坐)
  • 寺:1戸(真言宗)
  • 総計:79戸

人口

  • 男:170口(平民)
  • 女:176口(平民)
  • 総計:346口

牛馬

  • 牡馬:20頭
  • 牝馬:13頭

舟車

  • 荷船:3艘(90石積2艘、60石積1艘)

神社

  • 稲荷社:村社。社地は東西7間半・南北4間・面積30坪。村の東の方にある。豊受姫を祭る。祭日2月15日。
  • 庭津日社:平社。社地は東西7間半・南北4間・面積30坪。大戸比売命を祭る。祭日未定。
  • 厳島社:平社。社地は東西11間半・南北7間・面積81坪。市杵比売命を祭る。祭日未定。
  • 天神社:平社。社地は東西10間・南北2間・面積20坪。菅原道真を祭る。祭日未定。

仏寺

  • 台雲寺:東西20間・南北17間・面積344坪。新義真言宗 豊島郡石神井村三宝寺の末派である。村の中央にある。創建開基の年代は詳らかではない。『新編武蔵風土記稿』に、「中興開山の法印が定政という。これも遷化の年代は詳らかではないが、この法印から法流6世宥恵法印が境内に建立した石碑に元禄八年とあることから、法印定政は御入国から遠くない人であろう」と載っている。

村事務所

  • 当時戸長の宅舎を仮用する。

物産

  • 米:120石
  • 大麦:181石6斗
  • 小麦:78石7斗
  • 大豆:64石

米・麦は質が悪く、そば・甘藷などは特に質が良く美しい。余嬴があって東京あたりに輸出する。もっとも米・麦の余りは近傍で販売している。

民業

  • 男女農業を専らとする。

注記

  1. 現在、岡氷川神社の境内社となっている須賀神社か。
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