「武蔵国新座郡村誌/膝折村」の版間の差分
提供:シラキのコホリ
< 武蔵国新座郡村誌
シラキのコホリのツカサ (トーク | 投稿記録) ページの作成:「武蔵国新座郡村誌の膝折村項の現代語訳。 :現代語訳=シラキのコホリのツカサ ==膝折村(ひざをり)== 本村はいにしえ野方領に属する。 ===疆域=== 東は東・北の二方は溝沼村・岡村に接し、南は片山村と野道または…」 |
シラキのコホリのツカサ (トーク | 投稿記録) |
||
| (同じ利用者による、間の2版が非表示) | |||
| 8行目: | 8行目: | ||
===疆域=== | ===疆域=== | ||
東・北の二方は[[武蔵国新座郡村誌/溝沼村|溝沼村]]・[[武蔵国新座郡村誌/岡村|岡村]]に接し、南は[[武蔵国新座郡村誌/片山村|片山村]]と野道または[[黒目川]]が境界となり、西は[[武蔵国新座郡村誌/野火止村|野火止]]との境が道路や耕田の畦・埒などとなっている。 | |||
===幅員=== | ===幅員=== | ||
| 102行目: | 102行目: | ||
===神社=== | ===神社=== | ||
*'''[[子ノ神氷川神社|氷川社]]''' | *'''[[子ノ神氷川神社|氷川社]]''':村社。社地は東西53間・南北68間・面積1550坪。本村の南の方、字子の神にある。素戔嗚尊を祭る。祭日は4月15日。勧請年月は未詳。境内に松・杉などの老樹が繁茂している。また御嶽社・阿夫利社・厳島社・稲荷社・第六天社・大麻止豆乃天神社・疱瘡守護神・三峯社・天神社などの小祠を境内に勧請している。 | ||
*'''愛宕社''':平社。社地は東西8間・南北3間あまり・面積13坪。本村の西方、字宿の端にある。天軻遇突知命を祭る。勧請年月未詳。祭日6月24日。 | *'''愛宕社''':平社。社地は東西8間・南北3間あまり・面積13坪。本村の西方、字宿の端にある。天軻遇突知命を祭る。勧請年月未詳。祭日6月24日。 | ||
*'''稲荷社''':平社。社地は東西17間あまり・南北13間・面積287坪。本村の北方にある。倉稲魂命を祭る。勧請年月未詳。祭日は定まらない。 | *'''稲荷社''':平社。社地は東西17間あまり・南北13間・面積287坪。本村の北方にある。倉稲魂命を祭る。勧請年月未詳。祭日は定まらない。 | ||
| 119行目: | 119行目: | ||
===学校=== | ===学校=== | ||
* | *公立小学校:本村の東の方にある。生徒 男44人、女31人。 | ||
===村事務所=== | ===村事務所=== | ||
2026年6月20日 (土) 21:36時点における最新版
- 現代語訳=シラキのコホリのツカサ
膝折村(ひざをり)
本村はいにしえ野方領に属する。
疆域
東・北の二方は溝沼村・岡村に接し、南は片山村と野道または黒目川が境界となり、西は野火止との境が道路や耕田の畦・埒などとなっている。
幅員
- 東(字馬堀から)西(字西尻に至る)14町
- 南(字土支田山から)北(字芹沢に至る)30町
管轄沿革
- 天正十八年庚寅(1590年)徳川氏の所有となる。
- 正保(1644年~1648年)のころは村高373石あって、300石を旗下の士・佐野左京の采地とし、それ以外は代官が支配した。後、すべて直轄の地となった。(佐野某の采地を転収した年代はいまだよくわからない。万治三年(1660年)に同氏が検地したことが見えるので、寛文(1661年~1673年)より後であろう。
- 徳川氏の末に至り、高459石3升5合を代官・松村忠四郎が支配した。
- 維新の際、武蔵知県事に属する。
- 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
- 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に属する。
- 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。
里程
- 熊谷県庁より南少し東13里。
- 四隣:野火止村へ15町。片山村へ23町。溝沼村へ12町。白子村へ1里8町。
- 近傍:志木宿へ1里5町。
地勢
- 東西の境のあたりは高い岡で懸崖がある。黒目川が南北に貫流している。運輸の便を得る。薪・炭も乏しくない。
地味
- 赤・黒交種で、その質は悪く、菽・麦にはやや適するが、他の植物にはよろしくない。陸田が多いため、時々ひでりに苦しむ。
税地
- 田:9町6畝歩
- 畑:164町3反9畝14歩
- 総計:173町4反5畝14歩
飛地
- 本村の南方、本郡片山村の内、田1反9畝20歩
字地
- 上の原(かみのはら):村の東方にある。東西10町37間、南北7町25間。
- 後原(うしろはら):村の北方にある。東西7町48間、南北9町25間。
- 宿(しゅく):村の中央にある。東西5町35間、南北6町。
- 二タ又(ふたまた):村の西北にある。東西4町6間、南北6町53間。
- 子の神(ねのかみ):村の南にある。東西6町3間、南北6町5間。
- 蛇久保(へびくぼ):村の南方にある。東西8町33間、南北8町58間。
- 広沢原(ひろさははら):村の東南にある。東西4町39間、南北8町56間。
- 地倍(じばい):村の北方にある。東西7町9間、南北6町。
- 島の上(しまのうへ):村の北方にある。東西4町52間、南北6町20間。
- 下の原(しものはら):村の西北にある。東西13町20間、南北13町20間。
馬堀(まほり)、下屋敷(しもやしき)、未なし川、古新田、貫井(ぬくゐ)、宮戸原(みやとはら)新田、とうかくぼ、熊ノ山、中道、たてだし、永山下、芹沢、西尻、一里山、元坂下、五反田、一里塚、永山、泉水前、中田、熊ノ山下、下田、堰上(せきうへ)坂上、大屋鋪脇、島の前、堰根(せきね)、元坂上、古屋敷、下の坂上、上田(かみた)、町田(まちだ)、土支田山、寺上などがあって、ことごとく載せがたいので、今は著名なものだけを掲げる。
貢租
- 地租:米125石5合、金182円91銭3厘
- 賦金:金45円50銭
- 総計:米25石5合、金328円41銭3厘
戸数
- 本籍:141戸(士族1戸、平民140戸)
- 寄留:16戸(平民)
- 社:4戸(村社1坐、平社3坐)
- 寺:1戸(真言宗)
- 堂:2宇
- 総計:174戸
人口
- 男:405口(士族2口、平民403口)
- 女:390口(士族3口、平民387口)
- 総計:795口
- ほか寄留 男16口、女16口
牛馬
- 牡馬:8頭
舟車
- 荷車:35両(中小)
- 人力車:6両
- 総計:41両
山川
- '黒目川:幅は広いところ5間、狭いところ3間、深いところ5~6尺、浅いところ2尺。本村の南方、片山村から来て、西南の辺境を流れ、字地倍から斜めに右に折れて、北の方、溝沼村に入る。その間の長さ20町あまり
- 玉川分水支流:幅おおむね3尺。本村の北辺にあって、野火止村から入り、その長さ5町余りで、また同祖運に出る。多くその近傍の飲水に供する。
- 地倍橋:川越街道に属し、本村の西方、黒目川の中流に架す。幅8尺、長さ4間。木製。
- 橋:作場路あるいは式に至る村路で、村の北方、黒目川の下流に架す。幅7尺、長さ5間。土造。
- 橋:川越街道に属する。本村の西、黒目川の支流に架す。幅9尺、長さ7尺。石造。
森林
- 上の原林:民有に属する。東西2町・南北4町あまり。反別5町2畝5歩。字上ノ原にある。楢(なら)・椚(くぬぎ)などの類が生えている。
- 蛇久保林:民有に属する。東西6町あまり・南北4町。反別10町6反5畝。村の東の方、字蛇久保にある。楢・松などが生えている。
- 広沢原林:民有に属する。東西4町あまり・南北8町あまり。反別10町1反あまり。村の東南、字広沢原にある。楢の木のたぐいが多い。
- 島の上林:民有に属する。東西4町あまり・南北6町。反別4町8反7畝。西北の方、字島の上にある。松・楢・椚の樹種が生えている。
- 下の原林:民有に属する。東西4町・南北1町あまり。反別9町2反。村の東北の方、字下の原にある。樹種は前と同じ。
道路
- 川越街道:本村の東の方、溝沼村との境界から、西の方、野火止村との境界に至る。長さ20町あまり、幅おおむね4間。
- 村路:村の西北の方にあって、本村・野火止村から志木宿に達する道である。幅おおむね3間。
神社
- 氷川社:村社。社地は東西53間・南北68間・面積1550坪。本村の南の方、字子の神にある。素戔嗚尊を祭る。祭日は4月15日。勧請年月は未詳。境内に松・杉などの老樹が繁茂している。また御嶽社・阿夫利社・厳島社・稲荷社・第六天社・大麻止豆乃天神社・疱瘡守護神・三峯社・天神社などの小祠を境内に勧請している。
- 愛宕社:平社。社地は東西8間・南北3間あまり・面積13坪。本村の西方、字宿の端にある。天軻遇突知命を祭る。勧請年月未詳。祭日6月24日。
- 稲荷社:平社。社地は東西17間あまり・南北13間・面積287坪。本村の北方にある。倉稲魂命を祭る。勧請年月未詳。祭日は定まらない。
- 稲荷社:平社。社地は東西18間・南北14間あまり・面積287坪。村の東北の方、字宮戸原にある。祭神は同じ。勧請年月、祭日なども同じ。
仏寺
- 一乗院:東西27間・南北35間あまり・面積866坪。新義真言宗 豊島郡石神井村三宝寺の末派である。本尊十一面観音を安置している。開基・創建年代は未詳。『新編武蔵風土記稿』に「ただ口碑に伝えたことでは、この村開闢のころ、高麗氏の開基であるという」と載っている。
- 地蔵堂:東西35間あまり・南北23間・面積593坪。本村一乗院の末庵である。村の東方、字坂上。小高いところにある。建立の年暦は詳らかではないが、元禄の頃であると口碑に伝える。そのため、土地の人は元禄地蔵尊と言っている。
- 阿弥陀堂:東西18間・南北20間あまり・面積327坪。これもまた本村一乗院の末派である。村の北の方、字宿のうらにある。元禄七年甲戌8月、常念比丘が建立したという。
古跡
- 持明院廃跡:本村の中央にある。無住無檀であるため、明治8年9月に廃して、今は畑地となっている。
学校
- 公立小学校:本村の東の方にある。生徒 男44人、女31人。
村事務所
- 当時戸長の宅舎を仮用する。
物産
- 米:136石4斗
- 大麦:261石余り
- 小麦:258石5斗
- 大豆:164石1斗5升
- 鍼線[1]:40万斤
甘藷は余嬴があって、東京もしくは本郡志木宿あたりに販売している。
民業
- 男女、農耕を専らとする。もっとも、銅線を業とする者5戸。水車を業とする者12戸ある。
注記
- ↑ 銅の針金
| 武蔵国新座郡誌 | |
|---|---|
| 武蔵国新座郡村誌 | |
| 大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 | 現新座市北部 |
| 志木宿 | 現志木市南部 |
| 上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 | 現朝霞市の大半 |
| 上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 | 現和光市 |
| 橋戸村 | 現練馬区大泉町付近 |
| 膝折村 | 現朝霞市膝折 |
| 片山村 | 現新座市南部 |
| 上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 | 現西東京市東部 |
| 小榑村 | 現練馬区大泉学園町・西大泉・南大泉付近 |
| 武蔵国入間郡村誌より | |
| 針ヶ谷村 - 水子村 | 現富士見市内 |
| 宗岡村 | 現志木市北部 |