武蔵国新座郡村誌/上新倉村

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武蔵国新座郡村誌上新倉村項の現代語訳。

現代語訳=シラキのコホリのツカサ

上新倉村(にひくら)

本村はいにしえ新倉郷広沢庄野方領に属する。

新編武蔵風土記稿』に、「この村はいにしえ、新座村と記した。もと郡郷の根本で、正保絵図・元禄絵図にも新座村と記している。このころまでは公の簿書などにはいにしえの時を用いたことがわかる。しかし、土地では新倉と記す者も多い。ということは、今のようにおしなべて倉の字を書くようになったのは、元禄よりも後のことであろう。郡名も中古は倉の字を用いて、昔の文字とは違っている。元禄年中、古きにかえり、改めて新座の字を用いることにはなったが、郷村に至ってはそのまま倉の字を用い、また上下に分かれた年代もわからない」と載せている。

疆域

真東は荒川を隔てて足立郡笹目村と相望み、東南は本郡下新倉白子の2村に接する。西は本郡小榑膝折の3村といりまじり、北は根岸村・台村の隣、東北の一隅は新河岸川下内間木村に対する。

幅員

  • 東(字雑丹袋荒川縁から)西(字広沢原まで)1里11町30間
  • 南(字漆台から)北(字下谷津まで)6町

管轄沿革

  • 天正十八年庚寅(1590年)8月、板倉四郎右衛門(後、伊賀守)勝重に賜う。
  • 正保のころ、村高500石8斗であった。
  • 勝重の玄孫・周防守重冬のとき、封を移して代官の支配とする(村吏の録申には宝永七年(1709年)と記すが、確実なものがないため採用しない。まったく大成武鑑の系譜による)
  • 徳川氏の末に至っては、高1110石5斗2合を代官松村忠四郎が支配する。
  • 維新の際、武蔵知県事に属する。
  • 明治二年己巳(1869年)2月、品川県の管轄となる。
  • 明治四年辛未(1871年)11月、入間県に転ずる。
  • 明治六年(1873年)6月、熊谷県の所轄となる。

里程

  • 熊谷県庁より南少し東13里半。
  • 四隣:下新倉村へ9町55間。白子村へ24町。小榑村へ1里。膝折村へ1里。岡村へ30町。上内間木村へ1里10町。下内間木村へ20町。根岸・台の両村へ18町。
  • 近傍宿町:志木宿へ1里半町(中央字峯より測る)

地勢

  • 東西に長く、南北に短い。東北の境辺は荒川新河岸川の両水を帯びる。運輸が便利。炭に乏しいが薪は余嬴があって近傍に販売している。

地味

  • 赤黒土・砂など交じり、稲・粱に適しないが、甘藷によろしい。水利に乏しく、加えて暴漲のわざわいがあって陸田は旱魃に苦しむ。

税地

  • 田:71町2反3畝12歩
  • 畑:171町4畝27歩
  • 総計:242町2反8畝10歩

字地

  • 雑丹袋(ぞうたんふくろ):村の東方にある。荒川端に張り出して飛地のようである。東西2町20間、南北2町5間。
  • 合の田(あひのた):雑丹袋の西にある。東西4町25間・南北1町30間。
  • 溜池(ためいけ):合の田の西南にある。東西2町15間、南北2町5間。
  • 田端(たっはた):溜池の西北にある。東西2町・南北3町。
  • 峯前(みねまへ):田端の西に連なる。東西2町・南北2町30間。
  • 上の郷(かみのごう):峯前の東北にある。東西1町40間・南北1町50間。

このほか、境田(さかひた)、境田外(さかひたそと)、逆川(さかひがわ)、大島(おほしま)、山王免(さんわうめん)、午王山(まわうやま)、五反田(ごたんだ)、四反田(したんだ)、細田(ほそた)、練田(ねりた)、六反田(ろくたんだ)、榎戸(えのきど)、上谷中(かみやなか)、長坂(ながさか)、下谷中(しもやなか)、坂下(さかした)、松ノ木(まつのき)、島向(しまむかひ)、田向(たむかひ)、田外(たがい)、二畝割(ふたせわり)、三畝割(さんせわり)、南五畝割(みなみ)、北五畝割、草川淵(くさかはふち)、立町(たつまち)、立町外、竹の下、半三地、南一反割、東一反割、柳坪(やなぎつぼ)、天神下、江川、舟橋、京手(きょうて)、花ノ木、峯、大野前、向田外、富士塚、松影、土橋(つちはし)、南五反割、北口、北五反割、鈴森、庚申塚、越戸、小井戸、山尻、丸山、水久保、七ツ釜、清水、柿ノ木、坂、向原、松原、松山、中通り、堀口、花ノ木、広沢原、広沢間口、上谷津、下谷津、宮地、赤池、屋敷田、屋敷田外、羽根子、下井戸、四ツ木、向坂などある。今ここに掲載しない。

貢租

  • 地租:米321石8斗1升4合、金225円16銭4厘
  • 賦金:金20円
  • 総計:米321石8斗1升4合、金245円16銭4厘

戸数

  • 本籍:212戸(平民)
  • 社:2戸(村社1坐、平社1坐)
  • 寺:3戸(真言宗)
  • 総計:217戸

人口

  • 男:619口(平民)
  • 女:651口(平民)
  • 総計:1270口

牛馬

  • 牡馬:30頭

舟車

  • 漁業船:1艘
  • 水害予備船:1艘
  • 人力車(1人乗):10両
  • 荷車(中小):105両
  • 農業者:4両

山川

  • 午王山:高さ6丈あまり(約20m)、東西80間、南北150間。村の辰の方、平地の間に兀立している。山足は村内満願寺の庭前から起こり、下新倉村金泉寺の境内に至る。頂上は平らな畑である。東・北の二方は山上から山麓まで林木がある。その下は田畑が多い。西・南の二面は民家がある。言い伝えに、この山は昔は城砦であったという。口碑のみなので証明できるものはない。
  • 荒川:深いところ9尺、浅いところ4尺、幅おおむね37間。水は清淡。北の方、下内間木から来て村の東北の辺境を流れ、東の方、下新倉村に入る。その間、28町45間。
  • 新河岸川:深いところ6尺、浅いところ2尺。北の方、根岸村から来て、東の方二畝割で荒川に合流する。その間はわずかに6町10間。幅15間。

森林

  • 林:広沢原といい、民有に属する。村の西端にある。東西9町20間・南北3町45間。反別44町5反。

七ツ釜その他の林が散在している。一々書くほどではない。

池沼

  • 溜池:村の東の方、下新倉村境にある。村内耕田の用水としている。東西50間、南北1町52間、周囲5町20間。
  • 江川沼:村の東北の方にある。東西1町48間、南北45間、周囲5町20間。

道路

  • 川越街道:村の東南の方、下新倉村界から西北の方、根岸村・台村両村の入会地界に至る。長さ7町、幅4間。

このほか、隣村に達する村路が数条ある。一々載せるほどではない。

堤塘

  • 堤:荒川に沿い、村の東北にある。根岸村・台村との界から下新倉村界に至る。長さ21町、馬踏4尺、堤敷10間、樋管1か所、悪水吐3か所。修繕費用は官に属する。

神社

  • 氷川・八幡社合殿:村社。社地面積938坪。村の中央より北の方にある。素戔嗚尊・応神天皇を祭る。勧請年暦未詳。

仏寺

  • 長照寺:東西28間・南北13間8歩・面積367坪あまり。新義真言宗 豊島郡石神井村三宝寺の末派である。村の南野方、字漆台にある。開基創建未詳。
  • 満願寺:東西38間あまり・南北20間・面積566坪。もっとも税地のみ。宗旨・本寺は長照寺と同じ。午王山の下にある。開基・創建もまた不詳。
  • 東林寺:東西6間・南北25間・面積169坪。ほかに境内付宅地の税地516坪あまり。宗旨・本寺は長照寺と同じ。創建未詳。村の中央、字峯にある。

学校

  • 公立小学校:生徒 男42人、女18人。

村事務所

  • 当時の戸長宅舎を仮用している。

古跡

  • 宝積院廃跡:字上の郷にある。新義真言宗。明治六年(1873年)11月廃止。
  • 正願寺廃跡:村の中央にある。宗旨・廃止年月とも宝積院と同じ。

物産

  • 米:603石
  • 大麦:671石6斗5升
  • 小麦:406石1斗
  • ソバ:88石7斗9升
  • 粟:84石4斗7升
  • 黍・稗:各27石2斗7升

米穀は豊かで、入間郡所沢あたりに販売する。麦や甘藷の類は同じく東京などに輸出している。

民業

  • 男女農業を専らとする。

注記


武蔵国郡村誌
武蔵国新座郡村誌
大和田町 - 野火止村 - 菅沢村 - 西堀村 - 北野村 新座市北部
志木宿 志木市南部
上内間木村 - 下内間木村 - 宮戸村 - 田島村 - 浜崎村 - 溝沼村 - 岡村 - 根岸村・台村 朝霞市の大半
上新倉村 - 下新倉村 - 白子村 和光市
橋戸村 練馬区大泉町付近
膝折村 朝霞市膝折
片山村 新座市南部
上保谷村 - 上保谷新田 - 下保谷村 西東京市東部
小榑村 練馬区大泉学園町西大泉南大泉付近
武蔵国入間郡村誌より
針ヶ谷村 - 水子村 現富士見市内
宗岡村 志木市北部