胸刺国造
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『先代旧事本紀』国造本紀によれば、胸刺国造(むねさし/むさしのくにのみやつこ)は、後の武蔵国の領域にいたと考えられる3国造の一つである。この国造名はムサシにつながるものと考えられるが、无邪志国造の別名なのか、それとも別の勢力であったかについては見解が分かれている。
先代旧事本紀
国造本紀
胸刺国造 岐閇国造(きへのくにのみやつこ)の祖・兄多毛比命(えたもひのみこと)の子の伊狭知直(いさちのあたい)を国造に定められた。
国造・県主関係史料集 注
胸刺国造 无邪志国造とは系譜を異にするが、重複錯誤の可能性が強い。 — 佐伯有清, 高島弘志 校訂・編『国造・県主関係史料集』,近藤出版社,1982.4. 国立国会図書館デジタルコレクション
考察
「道尻岐閇国造」(古事記・神代巻 天安河之宇気比段)は天津日子根命の後裔とされている。
国造本紀では、以下の通り、天津彦根命(天津日子根命)系の系譜が伝えられている。
- 石城国造(建許呂命)
- 茨城国造(天津彦根命の孫 筑波刀禰)
- 師長国造(茨城国造の祖 建許呂命の児 意富鷲意弥命)
- 須恵国造(茨城国造の祖 建許侶命の児 大布日意弥命)
- 馬来田国造(茨城国造の祖 建許呂命の児 深河意弥命)
- 石背国造(建許侶命の児 建弥依米命)
- 周防国造(茨城国造と同祖 加米乃意美)
- 道奥菊多国造(建許呂命の児 屋主刀禰)
- 道口岐閑国造(建許呂命の児 宇佐比刀禰)
- 胸刺国造(岐閇国造の祖 兄多毛比命の児 伊狭知直)
国造本紀では、无邪志国造の系譜にも胸刺国造の系譜にも「兄多毛比命」の名前が挙がっているが、系譜が異なっている。
篠川賢氏は、大宝二年に同じムサシ国造として2氏を認定したと考えている。これは古来の国造とは関係がなかった可能性もある。
資料上の「国造」の語に多様な意味のあることは、これまでもしばしば指摘されてきたところである。筆者は、次の五通りに分けられると考えている。
(ア)大和政権の地方官としての国造
(イ)(ア)の国造を出している(あるいは出していた)一族全体の呼称
(ウ)律令制下の国造
(エ)姓としての国造(国造姓)
(オ)大宝二年(702)に定められた国造氏
(中略)「国造本紀」には、山城国造と山背国造,元邪志国造と胸刺国造,加我国造と加宜国造という,同名(同音)の国造を掲げる例が三例存在している。(中略)
これらの例については,ふつう重複とみなされているが,各「国造」の条文が、それぞれ独自の内容を持っていることの説明がつかない。また、これらの「国造」を(ア)の国造とみるならば、同名(同音)の国造が隣接して存在したことになり、実際に国造制下においてそのようなことがあったのか、という疑問が生ずる。ヤマシロ・ムサシ・カガのそれぞれの地域において、それを二分するようなクニの二国造が存在したならば、それは、同じ「国造本紀」において、「三野前(みのくち)国造」と「三野後(みのしり)国造」が掲げられているように、区別した名で記されたものと考えられる。
とするならば、これらの「国造」は、(オ)の国造氏とみるのが妥当ということになるであろう。つまり、国造制下において現実に存在した国造は、ヤマシロ国造・ムサシ国造・カガ国造それぞれ一国造ずつであったが、それぞれの国造氏に認定されたのは二氏ずつ存在し、それが「国造本紀」に掲げられているということである。 — 篠川賢『国造(くにのみやつこ)――大和政権と地方豪族』(中公新書)2021年、pp.99-105
注・出典
- 『先代旧事本紀 10巻』 国立国会図書館デジタルコレクション
- 篠川賢『国造――大和政権と地方豪族』(中公新書)2021
- 篠川賢「「国造本紀」の国造系譜」(国立歴史民俗博物館研究報告 第44集)1992