広沢の池

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広沢の池は、朝霞市の市指定史跡となっている池である。

所在地は朝霞市栄町一丁目1番地。台地の崖下に湧き出す地下水がたまってできた池であり、越戸川の水源の一つになっている。水田の用水として利用されてきた。

概要

広沢の池からすぐの崖上には、西に朝霞中央公園、南に朝霞第八小学校の台地があり、この地域には広沢原が広がっていた。広沢原はかつての上新倉村下新倉村小榑村溝沼村に囲まれた一里四方の雑木林である。

その崖下の湧水地が広沢の池と呼ばれている。池のほとりには広沢観音堂が鎮座している。

現在は暗渠になっているが、この池からの流れは七ツ釜からの流れと合流して、越戸川となる。下流地域の住人が毎年、池浚いを行っていた。

年譜

  • 明治以降:国有地であった。
  • 昭和の初めから昭和三十年代:野菜の生産が盛んになるとともに、池の下手の一角が野菜の洗い場として利用された。
  • 昭和四十八年(1973年):広沢の池は市を代表する自然湧水であるとして、朝霞市が市指定文化財(史跡)に指定
  • 平成四年(1992年):池の水位が急激に下がり始めたため、観音堂脇に井戸を掘り、深層の地下水を供給。水位が戻る。
  • 平成十一年(1999年):崩れた池の南側の護岸改修工事を実施。

地図

国土地理院地図により、標高2mずつに色分けした。

写真

記載

朝霞市による指定史跡碑

朝霞市 指定史跡 広沢の池

昭和四十八年一月一日指定

この池は台地の崖下からの湧き水によってできたもので、『新編武蔵風土記稿』によると、周辺の灌漑用水として古くから利用されてきた貴重なものである。また、現在では市街地に残された湧水地として周辺の環境とともに貴重な景観を保っている。

朝霞市による説明板

朝霞市指定史跡『広沢の池』

指定年月日 昭和48年1月1日

 広沢の池には、今でもたくさんの魚が生息し、季節によっていろいろな渡り鳥が飛来してきます。また池のほとりには木々が生い茂り、昔の面影を残しています。

  1. 位置
     朝霞市の南東部に位置し、現在の住居表示では栄町一丁目にあります。最寄り駅の東武東上線朝霞駅からは南西約600mの位置にあたります。
  2. 由来
     広沢の池の崖上には、かつては広沢原が広がっていました。大地上の雑木林を背に負い、それらの地下水が崖下に湧き出るところが、広沢の池や七ツ釜などの湧水地です。
     明治8年当時の様子を伝える『武蔵国郡村誌』のなかに、「広沢観音の池村(岡村)の南方 東西十五間 南北二十間」と記されています。
     また、江戸時代の文政年間に幕府によりまとめられた『新編武蔵風土記稿』には、「広沢の池 岡村にあり、此辺諸村の養水みなこの池中七ツ釜と云所より湧出す」とあり、広沢の池の水は、細く東に流れ出て七ツ釜の水と合流して越戸川となり、根岸台、新倉の水田の灌漑用水として利用されていました。
     また、同じく『新編武蔵風土記稿』によると、この近辺には沢が多く、特に広沢の池は広い沢だったため、広沢の池と言う名になったと伝えられていますが、これは言い伝えだけで証拠はなく、おそらくは、もともと広沢と言う地名があったところにある池と言うことで「広沢の池」と言う名が付いたのであろうと記録されています。
  3. 大きさ
    現在の広沢の池は、東西約50m・南北約25mを測り、面積約1,000㎡となっています。

平成21年5月 朝霞市教育委員会

新編武蔵風土記稿 総説 水利

  • 広沢池:岡村にある。この辺の諸村の養水はみなこの池の中の七ツ釜というところから漏出している。

新編武蔵風土記稿 総説 荘名

広沢(廣澤)
23村。この庄名はいずれのころから起こったかわからない。本郡岡村の南の方に広沢の池があり、このためにその辺をすべて広沢と号すともいう。これはこの辺に沢が多い中でも、この池だけが特に広く、池の中の水の漏出するところが数か所ある。土地の人はそこを指して七ツ釜という。それでこの池も広い沢というようになったのでこの名が起こったのだろう。とはいうものの、それもただ口碑に伝えただけで、そのような証拠はないので、もとより広沢の名があったために池もそう名付けたのかもしれない。
この庄は新倉・片山・舘の3郷にまたがり、属する村が多い。郡の東から西へ貫き、南は中沢・小榑などの数村にとどまり、北は田島・宮戸などの村々に至る。

武蔵国新座郡村誌 岡村

  • 広沢観音の池:村の南方、東45間、南北20間

参考文献

朝霞市教育委員会生涯学習課『広沢の池 ―あさかの民俗 一―』朝霞市教育委員会,平成十四年(2002年)3月29日