野火止塚
野火止塚は、現在の平林寺境内にある塚である。野火止の地名の由来でもある塚であるが、詳細についてはわかっていない。おそらくは火田狩猟(野山や田畑の草木に火を放ち、そこから飛び出してきた動物(獲物)を捕らえる古代の狩猟方法)、もしくは焼畑農法で、野・林を焼いたときの火を見張るための塚であっただろうと考えられる。
野火止塚と伊勢物語・在原業平の伝説
室町時代(15世紀末)の廻国雑記では、野火止の塚について伊勢物語12段と絡めて紹介しており、野火止と伊勢物語を結びつける言説は少なくともこの時代まで遡れることがわかる。
その後、当地に伝わる伝説では、「男」は在原業平、「人の娘」とは館村の田面長者長勝の娘である皐月の前であるとする。また、火を付けられたのが黒目川の「火の橋」(現・樋之橋)、皐月の前が和歌を詠んだところ火が止まったのが「野火止塚」であるという。平林寺境内には野火止塚・業平塚が現存する。また、野火止塚の別名・九十九(つくも)塚は、『伊勢物語』63段の「つくも髪」の歌に由来するともいう(他の説として、すくもを集めた塚とも、塚が非常に多かったためともいわれている)。
新座民話の会による民話「野火止塚(九十九塚)」[1]では「この塚のまわりを息をつかないで三回まわりますと、塚の上にそれはそれは美しいお姫さまの姿があらわれる」という伝説が紹介されている。ここでは、娘の名は「青前(あおまえ)」とされている。
野火止塚(九十九(つくも)塚)この野火止塚は、和名抄に見る火田狩猟による野火を見張ったものか、焼畑耕法による火勢を見張ったものか、定かでないが、野火の見張台であったとする説が有力である。それは、この種の塚が古くからこの平野の名所にあって、その名残りを留めていた事でも判る。
— 現地の案内看板より
にいざ見聞録(第1回 野火止のつか)武蔵野といえば平林寺とまで言われるほど、その名残を色濃く残しているのが、平林寺境内林です。
— にいざ見聞録(第1回 野火止のつか) - にいざ見聞録 - 新座市ホームページ
国の天然記念物に指定されている雑木林の一隅に、古くから武蔵野の古歌や、詩材にとりあげられる「野火止塚」があります。
今から510年以上も昔、室町時代の文明18年(1486年)冬、関東に下向した聖護院門跡(しょうごいんもんせき)の道興准后(どうこうじゅごう)は、紀行文『廻国雑記(かいこくざっき)』に
…此のあたりな野火とめのつかといふ塚あり…峰火たちまちにやけとまりけるとなむ…
と、地名とその様子を記述しています。
塚の根源をたどると、1,200年前に渡来した新羅人の行った野火によって火田を作る焼畑の農法からきていると言われています。
高さ約6メートルの円形の塚は「平林寺の丘」とよばれる弧立丘(標高50メートル)上にあり、地形的に目立ちます。
- ↑ 新座民話の会 野火止塚(九十九塚)