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'''新河岸川'''(しんがしがわ)は、埼玉県中西部から東京都北区に至る、[[荒川]]水系の一級河川である。一級河川としての管理起点(指定起点)は埼玉県川越市野田町・田町境界の'''八幡橋'''付近([[東武東上線]]川越市駅の西)にあり、[[武蔵野台地]]北東縁の低地(旧[[入間郡]]・旧[[新座郡]]域)を流れて東京都北区岩淵町で隅田川(旧荒川)に合流する。延長約34.6km、流域面積約345km²。
'''新河岸川'''(しんがしがわ)は、埼玉県中西部から東京都北区に至る、[[荒川]]水系の一級河川である。一級河川としての管理起点(指定起点)は埼玉県川越市野田町・田町境界の'''八幡橋'''付近([[東武東上線]]川越市駅の西)にあり、[[武蔵野台地]]北東縁の低地(旧[[入間郡]]・旧[[新座郡]]域)を流れて東京都北区岩淵町で隅田川(旧荒川)に合流する。延長約34.6km、流域面積約345km²。


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== 一次史料・地誌における記録 ==
== 一次史料・地誌における記録 ==
* '''『新編武蔵風土記稿』(1830年完成・幕府編纂地誌)'''
* '''『新編武蔵風土記稿』(1830年完成・幕府編纂地誌)'''
: 入間郡および新座郡(引又町、白子村、下新倉村等)の各項に「新河岸川」「内川」「黒目川」「白子川」等の記述があり、各河岸の賑わいや水害・蛇行の様子が精査・記録されている。
: 新座郡および入間郡の各項に新河岸川に関する記述がある(当時の俗称・古称である『内川』の記述を含む)。各河岸の賑わいや流路・水害の状況が詳細に記録されている。
* '''『江戸名所図会』(1834~1836年刊)'''
* '''『江戸名所図会』(1834~1836年刊)'''
: 新河岸川沿いの河岸風景や、両岸から船を引く「曳き舟」の様子が長谷川雪旦の精密な絵図によって描かれている。
: 江戸近郊の景勝地として、新座郡宗岡村周辺(「宗岡里 内川」)の「いろは樋」や新河岸川の舟運風景が長谷川雪旦の精密な挿絵によって描かれており、堤から舟を引く「曳き舟」や川を行き交う川越船の様子を窺うことができる。


== 略年表 ==
== 略年表 ==

2026年9月26日 (土) 13:39時点における最新版

新河岸川の旧流路と、新河岸川舟運を支えた河岸の一覧図

新河岸川(しんがしがわ)は、埼玉県中西部から東京都北区に至る、荒川水系の一級河川である。一級河川としての管理起点(指定起点)は埼玉県川越市野田町・田町境界の八幡橋付近(東武東上線川越市駅の西)にあり、武蔵野台地北東縁の低地(旧入間郡・旧新座郡域)を流れて東京都北区岩淵町で隅田川(旧荒川)に合流する。延長約34.6km、流域面積約345km²。

江戸時代から大正時代にかけては、伊佐沼を主な源流とし、現在の埼玉県和光市新倉付近で荒川に合流していた。しかし、大正九年(1920年)から昭和六年(1931年)にかけて実施された近代の大規模河川改修工事(荒川放水路建設および新河岸川改修)により、赤間川の流路を切り替えて八幡橋付近で直結させるとともに、合流点を東京都北区岩淵まで延伸・変更し、現在の流路・治水体系が確立した。

地理と流域構造

流域は大きく分けて「川越・ふじみ野・富士見市(旧入間郡)エリア」と「志木・朝霞・和光(旧新座郡)エリア」、および「東京都区部エリア」に区分される。

支流の構造(現在)

  • 旧入間郡エリア(川越市・ふじみ野市・富士見市)
    • 赤間川(川越市野田町の八幡橋付近で新河岸川へ名称が変わる。かつては伊佐沼へ流入していたが、大正~昭和初期の改修工事により流路が変更され、八幡橋上流で新河岸川へ統合された)
    • 不老川(川越市古谷上付近で合流)
    • 九十川・砂川堀(川越市・富士見市境付近で合流)
  • 旧新座郡エリア(志木市~朝霞市~和光市)
    • 柳瀬川(所沢市・清瀬市方面から流れて志木市・富士見市境で合流)
    • 黒目川(東久留米市・新座市・朝霞市を経て志木市・朝霞市境で合流。新河岸川の最大級の支流)
    • 越戸川(和光市から朝霞市・和光市境の低地を通り、朝霞市下内間木付近で合流)
    • 白子川(東京都練馬区・埼玉県和光市の境界を流れて和光市下新倉で合流)※かつてはここで新河岸川が荒川に合流していた。
  • 下流域:東京都区部エリア(板橋区~北区)
    • 赤塚川(板橋区成増・赤塚付近の崖線湧水を源流とし、赤塚公園・高島平付近の低地を経て新河岸川へ注いでいた小河川。百々向川などの通称もあり、現在は主に暗渠・緑道化)
    • 前谷津川(板橋区徳丸・西台付近の台地崖線からの湧水を集め、高島平を経て新河岸川へ注いでいた主要河川。現在は全区間が暗渠化され、緑道や雨水幹線として機能)
    • 蓮根川(板橋区坂下・蓮根付近の低地を通り新河岸川へ注いでいた河川。昭和50年代までに暗渠化され、現在は「蓮根川緑道」として整備)
    • 出井川(板橋区前野町・泉町付近の崖線湧水等を源流とし、新河岸川へ注いでいた主要河川。かつて一級河川に指定されていたが首都高速5号線建設等に伴い暗渠化され、現在は「出井川緑道」等として整備)
    • 志村川(板橋区小豆沢・志村付近の崖線湧水を集めて新河岸川へ注いでいた河川。現在は主に暗渠・緑道化)
    • 稲付川(北区西が丘・十条付近の台地崖線湧水等を水源とし、赤羽・神谷地区を経て新河岸川下流部へ注いでいた主要河川。北耕地川とも呼ばれ、現在は全区間暗渠化)
    • 赤羽台崖線湧水群(北区赤羽台・赤羽北付近の台地崖線からの湧水を集め、新河岸川(旧荒川)へ直接注いでいた小河川・水路群。現在は主に暗渠化)

水理的特徴:荒川との合流と「逆水」

かつては新倉(和光市)で荒川に合流していたが、大正~昭和初期の改修により東京都北区岩淵で旧荒川(現在の隅田川)に合流する形へ変更された。

  • 逆水現象:荒川本流が増水すると、高水圧によって荒川の水が新河岸川へ逆流する「逆水(さかみず)」が頻繁に発生した。特に志木市(旧引又)、朝霞市(台・宮戸など)、和光市(下新倉)、戸田市、東京都北区などの低地沿岸村落は長年にわたり甚大な水害に悩まされた。
  • 感潮区間:旧荒川(隅田川)を通じて東京湾の潮の満ち引き(潮汐)の影響が志木市(旧引又河岸付近)まで及んでおり、この満ち潮が舟運の遡上(上り舟)に利用された。

志木市~和光市(旧新座郡)における歴史と役割

旧新座郡エリア(現・志木市、朝霞市、和光市)は、新河岸川の治水・利水・流通において独自の重要な立場を有してきた。

志木(引又河岸)の位置づけ

志木市(旧引又)は、柳瀬川および黒目川の合流点近くに位置し、水深が十分に確保できたこと、また潮汐の影響(感潮限界)を受ける最上流付近であったことから、新河岸川水運における最大の中継拠点(引又河岸)として機能した。川越藩領外の幕府領・他藩領の物資の集散地となり、「川越五河岸」と並ぶ交易の中心地となった。

朝霞・和光沿岸の水害と治水(内水氾濫)

朝霞市や和光市エリアの低地は、新河岸川本流と支流(黒目川・越戸川・白子川)が密集して合流するため、荒川の逆水と各支流の溢水(内水氾濫)が重なる頻繁な水害地域であった。このため、江戸時代から「水塚(みずづか)」(水害時に避難するための高台・土蔵)が各農家に整備されるなど、独自の防災文化が育まれた。

地場産業・産業の発達と舟運

近代における新河岸川流域の産業は、各地域の地理的特性や支流・湧水の水利に応じて多様な展開を見せた。

  • 朝霞・新座エリア(黒目川流域:伸銅産業)
    • 生産・動力(黒目川):黒目川の傾斜と豊富な水量を活かし、膝折(現・朝霞市)や片山(現・新座市)などの黒目川沿いに多数の「伸銅水車」が設置された。これにより銅・黄銅のロール圧延動力や洗浄用水として水利が活用され、地域の一大伸銅産業(朝霞の伸銅業)へと発展した。
    • 物流(新河岸川):製造された銅板・銅線などの製品は、近隣の宮戸河岸や引又河岸(志木)などから新河岸川の舟運によって東京(浅草・深川等)へ積出された。
  • 和光エリア(旧白子村・下新倉村:酒・醤油醸造業と農産物出荷)
    • 生産・水利(崖線湧水・白子川):白子宿(現・和光市白子)周辺では、武蔵野台地崖線からの豊富な湧水(七ツ釜湧水等)を利用した酒・醤油の醸造業が発達し、白子川等の水力は主に精米や製粉水車として利用された。
    • 物流(新河岸川・下新倉河岸):醸造品や地域で収穫された農産物(芋・穀物等)は、下新倉河岸(和光市下新倉)など新河岸川沿いの河岸を通じて江戸・東京方面へと舟運で出荷された。

河川改修と近代治水

近代の大規模流路改削(1920~1931年)

大正9年(1920年)から昭和6年(1931年)にかけて、埼玉県および国による大規模な河川改修事業が実施された。

  1. 赤間川の流路変更と源流の改編:かつて伊佐沼へ注いでいた赤間川の流路を田町・野田町付近で切り替え、新しく開削された流路を通じて八幡橋下流の新河岸川本流へと直結させた。これにより八幡橋が正式な管理起点となり、伊佐沼中心の旧源流構造から転換された。
  2. 合流点の変更(新倉合流から岩淵合流へ):荒川放水路の建設に伴い、和光市新倉付近にあった旧合流口を閉鎖・統合し、下流方向へ流路を合体・延伸して東京都北区岩淵で旧荒川(現在の隅田川)に合流する現在の流路へと改修された。
  3. 九十九曲りの直線化:舟運維持のために残されていた激しい蛇行(九十九曲り)を切断・直線化し、下流への排水能力を向上させた。
  4. 舟運の終焉:流路の直線化による水深減少と流速増加、ならびに昭和3年(1928年)の通船禁止令により、近世以来の舟運は完結した。
※舟運の歴史・制度・船の種類等の詳細は 新河岸川舟運 を参照。

現代の治水システム

高度経済成長期の急速な都市化に伴う保水力低下(内水氾濫の頻発)や水質汚濁を経て、昭和後期から平成期にかけて荒川上流河川事務所や埼玉県等により総合的な洪水制御システムが段階的に整備された。

  • 新河岸川放水路:昭和五四年(1979年)完成。川越市市場付近で新河岸川の増水分の水量を分流し、入間川へ排出する。
  • びん沼自然調節池・南畑排水機場:旧荒川の本流筋である「びん沼川」を活用した自然調節池。昭和六十一年(1986年)に南畑排水機場が完成し、新河岸川の洪水を強制排出する機能を獲得。全体事業は平成十六年(2004年)に完了した。
  • 朝霞調節池:朝霞水門上流の新河岸川左岸(朝霞市下内間木)に整備された遊水施設(約105万m³の貯留能力)。昭和五十五年度(1980年度)より事業着手し、平成十六年度(2004年度)の暫定供用を経て、平成二十年度(2008年度)に本格供用を開始した。
  • 朝霞水門:朝霞市下内間木地先に建設された日本最大級の水門。平成元年度(1989年度)に着工し、平成七年(1995年)に完成(翌1996年運用開始)。新河岸川増水時には荒川へ放流し、荒川増水時にはゲートを閉鎖して新河岸川への逆水を防ぐ。
  • その他支流の調節池群と親水整備
    • 各支流の調節池:富士見市の寺尾調節池や、黒目川調節池、白子川地下調節池など、支流群の水位急上昇を抑制する施設が連携して稼働している。
    • 親水空間整備:水質浄化対策が進んだことで、志木市の「いろは親水公園」や和光市・朝霞市境の沿岸散策路、川越市内の桜並木など、地域住民の親水・レクリエーション空間として活用されている。

一次史料・地誌における記録

  • 『新編武蔵風土記稿』(1830年完成・幕府編纂地誌)
新座郡および入間郡の各項に新河岸川に関する記述がある(当時の俗称・古称である『内川』の記述を含む)。各河岸の賑わいや流路・水害の状況が詳細に記録されている。
  • 『江戸名所図会』(1834~1836年刊)
江戸近郊の景勝地として、新座郡宗岡村周辺(「宗岡里 内川」)の「いろは樋」や新河岸川の舟運風景が長谷川雪旦の精密な挿絵によって描かれており、堤から舟を引く「曳き舟」や川を行き交う川越船の様子を窺うことができる。

略年表

  • 正保4年(1647年)頃 - 川越藩主・松平信綱により河道整理が行われ、初期の河岸が開設される。
  • 文政13年(1830年) - 『新編武蔵風土記稿』完成。新座郡・入間郡を流れる新河岸川および黒目川・白子川等の記述が整理される。
  • 天保5年~7年(1834-1836年) - 『江戸名所図会』刊行。河岸の賑わいや曳き舟の様子が絵図として記録される。
  • 大正9年~昭和6年(1920-1931年) - 大規模改修と舟運の終焉。八幡橋付近での赤間川接続・流路直線化、および新倉合流口の閉鎖と岩淵合流への流路延伸工事が完了。昭和3年の通船禁止令を経て治水河川へ移行。
  • 昭和54年(1979年) - 新河岸川放水路が完成し、川越市で入間川へ繋ぐ放水路により中下流域(旧新座郡エリア含む)の治水安全度が大きく向上。
旧新座郡エリアの河川