「東都近郊全図」の版間の差分
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シラキのコホリのツカサ (トーク | 投稿記録) ページの作成:「『東都近郊全図』は、弘化元年(1845年)に発行された栄川堂・衆星堂 合梓の江戸近郊地図である(『増補 東都近郊全図』と題する下谷御成道の紙屋徳八版もある)。 ==図の解説(現代語訳)== およそ山川の佳麗なところに遊ぶことを好む者は画図でなければその方位を知ることができない。今、ここに制した図は、私が経歴で目撃したところを…」 |
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およそ山川の佳麗なところに遊ぶことを好む者は画図でなければその方位を知ることができない。今、ここに制した図は、私が経歴で目撃したところを記し、画図に作った。名付けて『東都近郊全図』という。同じ遊びの輩に与える。郊外に遊ぶ者がこれに依るときは、教導を乞わなくてもよいだろう。もっとも、村邑の前後が錯乱してその順序が乱れている。誤字・仮名ちがい、堂・社・川・陸の方位、その所在はすこぶる差謬が多いだろう。見る者はこれを許してほしい。また道をかなうこと数十里に至らず。日を重ねることなくして遊覧を旨とする。故に刊整を成し、諸々の好事家に伝える。 | およそ山川の佳麗なところに遊ぶことを好む者は画図でなければその方位を知ることができない。今、ここに制した図は、私が経歴で目撃したところを記し、画図に作った。名付けて『東都近郊全図』という。同じ遊びの輩に与える。郊外に遊ぶ者がこれに依るときは、教導を乞わなくてもよいだろう。もっとも、村邑の前後が錯乱してその順序が乱れている。誤字・仮名ちがい、堂・社・川・陸の方位、その所在はすこぶる差謬が多いだろう。見る者はこれを許してほしい。また道をかなうこと数十里に至らず。日を重ねることなくして遊覧を旨とする。故に刊整を成し、諸々の好事家に伝える。 | ||
2025年4月30日 (水) 23:24時点における版
『東都近郊全図』は、弘化元年(1845年)に発行された栄川堂・衆星堂 合梓の江戸近郊地図である(『増補 東都近郊全図』と題する下谷御成道の紙屋徳八版もある)。
図の解説(現代語訳)

およそ山川の佳麗なところに遊ぶことを好む者は画図でなければその方位を知ることができない。今、ここに制した図は、私が経歴で目撃したところを記し、画図に作った。名付けて『東都近郊全図』という。同じ遊びの輩に与える。郊外に遊ぶ者がこれに依るときは、教導を乞わなくてもよいだろう。もっとも、村邑の前後が錯乱してその順序が乱れている。誤字・仮名ちがい、堂・社・川・陸の方位、その所在はすこぶる差謬が多いだろう。見る者はこれを許してほしい。また道をかなうこと数十里に至らず。日を重ねることなくして遊覧を旨とする。故に刊整を成し、諸々の好事家に伝える。
弘化元年甲申(1845年)十二月十五日
この図は36丁を行程一里とし、曲尺1寸6分をもって1里に当てている。コンパスを1寸6分にひらき、自分が志す所から当てて歩ませ見るときはその里数を得ることができる。よって、図中に里程を記していない。
新座郡近辺
東都近郊全圖(明治大学図書館 蘆田文庫所蔵、ライセンス:パブリックドメイン)より、新座郡近辺を拡大した。
ここに新座(ニイクラ)郡として記された地名は以下のとおり。
- 上内間木
- 下内間木
- 用水イロハ樋
- 引又町 三八ノ日市
- 舘村
- 北野
- 大和田宿
- 菅沢
- 野火留
- 平林寺
- 下中沢
- 辻村
- 堀之内
- 栗原
- 十二天
- 中沢
- 石神
- 原ヶ谷戸
- 法台寺 観智国師旧跡
- 片山領
- 野寺
- 万行寺
- 池
- 下保谷(ホウヤ)
- 上保谷
- 小榑(コグレ)
- 明福寺 十月九日十日市
- 橋戸
- 上白子
- 白子宿 滝不動
- 上新座 キヨクボという
- 下新座 アサクボという
- 膝折 廿四日市
- 愛宕神社
- 下村
- 溝沼
- 浜島
- 宮戸
- 田島
- 岡村
- 根岸
- 台村
- 吹上観音 毎年七月十日・十二月十八日 篭もり十二月十日十八日トシの市
保谷新田は多磨郡に属するように書かれている。また、上下の新倉村が新座と書かれている。