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	<title>朝鮮国名攷 - 版の履歴</title>
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	<updated>2026-04-17T01:04:48Z</updated>
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		<title>シラキのコホリのツカサ: ページの作成:「鮎貝房之進&lt;ref&gt;&#039;&#039;&#039;鮎貝房之進&#039;&#039;&#039;：1864年-1946年。言語学者・歴史学者・歌人。古代朝鮮の地名・王号などを考証した『雑攷』を刊行した。&lt;/ref&gt;『雑攷』第二輯　上巻「日本の韓、新羅、任那、百済、高麗、漢、呉、秦等の古訓に就きて」&lt;ref&gt;鮎貝房之進 著『[https://dl.ndl.go.jp/pid/12173004 新羅王号攷・朝鮮国名攷]』,国書刊行会,1972. 国立国会図書館デジタル…」</title>
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		<updated>2026-04-05T12:28:13Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成:「鮎貝房之進&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;鮎貝房之進&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;：1864年-1946年。言語学者・歴史学者・歌人。古代朝鮮の地名・王号などを考証した『雑攷』を刊行した。&amp;lt;/ref&amp;gt;『雑攷』第二輯　上巻「日本の韓、新羅、任那、百済、高麗、漢、呉、秦等の古訓に就きて」&amp;lt;ref&amp;gt;鮎貝房之進 著『[https://dl.ndl.go.jp/pid/12173004 新羅王号攷・朝鮮国名攷]』,国書刊行会,1972. 国立国会図書館デジタル…」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;鮎貝房之進&amp;lt;ref&amp;gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;鮎貝房之進&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;：1864年-1946年。言語学者・歴史学者・歌人。古代朝鮮の地名・王号などを考証した『雑攷』を刊行した。&amp;lt;/ref&amp;gt;『雑攷』第二輯　上巻「日本の韓、新羅、任那、百済、高麗、漢、呉、秦等の古訓に就きて」&amp;lt;ref&amp;gt;鮎貝房之進 著『[https://dl.ndl.go.jp/pid/12173004 新羅王号攷・朝鮮国名攷]』,国書刊行会,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション&amp;lt;/ref&amp;gt;より、「（二）新羅（シラキ）をシラキと訓じたるに就きて」を現代語訳した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同書の考察をざっくりとまとめると、もともと「新しい国」という意味だった「斯羅」を意訳して「新羅」とした。また、キという音には「邑城」の意味があるため、合わせてシラキという読み方になったのではないかという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代語訳：[[利用者:シラキのコホリのツカサ|シラキのコホリのツカサ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==『雑攷』第二輯　上巻「日本の韓、新羅、任那、百済、高麗、漢、呉、秦等の古訓に就きて」==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鮎貝房之進　述&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===（二）新羅（シラキ）をシラキと訓じたるに就きて===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では古くから新羅をシラキ・シラギと称している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一書曰。……是時、素戔嗚尊帥其子五十猛神。降到於新羅（シラキの）國居曾尸茂梨之處。云々（『日本書紀』神代巻）&lt;br /&gt;
::一書にいう。その時、素戔嗚尊（スサノオノミコト）は、その子の五十猛神（イタケルノカミ）を率いて、&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[新羅]]（シラキ）&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;の国に降り立ち、曾尸茂梨（ソシモリ）という場所に滞在された。&lt;br /&gt;
:是曰栲衾（タクフスマ）新羅國焉。（『日本書紀』仲哀紀）&lt;br /&gt;
::これを栲衾（たくぶすま）&amp;lt;ref&amp;gt;栲衾は栲（こうぞ）の繊維で作った夜具。色が白いことから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。&amp;lt;/ref&amp;gt;の新羅の国という。&lt;br /&gt;
:故其御船之波瀾押騰新羅之國。云々（『古事記』仲哀段）&lt;br /&gt;
::その御船の波は、新羅の国に押し上がった。&lt;br /&gt;
:右京皇別下&amp;lt;br /&amp;gt;新良貴（シラギ）。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊男稲飯命之後也。是於新良國即為國主。稻飯命者新羅國（シラキノクニ）王之祖也。日本紀不見。（『新撰姓氏録』）&lt;br /&gt;
::新良貴（しらぎ）：この氏は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊（ヒコナギサタケ　ウガヤフキアエズノミコト）の息子である稲飯命（イナヒノミコト）の後裔である。この稲飯命は、新羅の国においてそのまま国主となった。つまり、稲飯命は新羅国の王の祖先である。なお、このことは『日本書紀』には見えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
シラギはシラキの音便であって、同名である。今の慶北（慶尚北道）慶州（キョンジュ）を中心として国を成していた辰韓すなわち新羅を、日本で古くシラキと称したのである。シラが新羅であるのは論ずるまでもないが、ギとは何語であろうか。朝鮮の古史冊に、新羅にキを添えて書いてあるものは一切ない。そのため、古来、諸種の説を成す人がいるが、これは朝鮮の古地名に最も多い邑城の意味である古方言の「只」「支」を添えてあるものと同語である。今、この語は朝鮮では廃語となっている。この語はもと日韓同語源であって、日本では今日も行われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朝鮮の古地名に、たとえば闕支（慶尚南道・闕城）、三支（同・三岐）、菓支（全羅南道・玉果）、屈支（同・昌平）、栗支（同・栗原）、多支（同・牟平）、伐音支（忠清南道・新豊）などは「支」を添えたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊只（慶尚南道・熊川）、多斯只（慶尚北道・河濱）、奴斯只（忠清南道儒城）、豆仍只（同・燕岐）、仇知只（全裸北道・金溝）、只伐只（同・雲梯）、豆夫只（全羅南道・同福）などは只を添えたものである。（支・只は今の朝鮮音では지（chi）であるが、古音は기（ki）である。もっとも、方言の上でも지と기は通じる音である。そして、闕支を지として闕城と翻訳し、奴斯只を儒の城と後代翻訳されている。これにより「支」「只」は邑城の意味であることを推察できる。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、この邑城の意味だが、「支」「只」は地名に添えたものなので、有無は問題ではない。ゆえに、添えてある本もあれば、略して添えていない本もある。また、同じ意味の他の言葉に代えたものもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たとえば、忠清南道　新豊の古名を『三国史記』地理では「伐音支」としているが、『日本書紀』神功紀はこれを「布弥支」とし、『三国志』馬韓国名はこれを「布弥国」に代えている。また、『三国史記』地理で慶尚南道　新繋の古名「辛爾県」を、『日本書紀』欽明紀は「斯二岐」（任那十国の一国）と「岐」を添えてある。また、『三国史記』地理で全裸北道の金堤、古名「碧骨」を、神功紀は「辟支」として、骨を支に代えている。天智紀ではこれを避城として、城の字に訳してある&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゆえに、シラキのキは『東国地理志』&amp;lt;ref&amp;gt;『東国地理志』：李氏朝鮮の歴史・地理学者である韓百謙の著書である。1615年。&amp;lt;/ref&amp;gt;には記載がないが、韓民族も実際に添えて読んでいた名であるということができる。「新羅の「羅」を国の意味として、ここに邑城の意味である「支」を添えたものとすれば、重複していないだろうか」という説はあるものの、シラは一つの国名すなわち固有名詞となったものなので、これに「城」を添えて呼ぶとしても特に問題ないだろう。さらに「新羅国」と重複して呼ぶのも同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「シラキ」は『古事記』神代巻から現れていて、みな「新羅」と追記してあるが、ただ『日本書紀』欽明紀百済明王の上表文に「斯羅」とある&amp;lt;ref&amp;gt;【原註】十五年十二月「百済遣下部杆率汶斯干奴、上表曰」云々「以斯羅無道不畏天皇」云々「仰乞軍士、征伐斯羅」云々（欽明紀）&amp;lt;br /&amp;gt;欽明天皇十五年（554年）冬十二月。百済は下部杆率（かほうかんそつ）汶斯干奴（もんしかんぬ）を遣わして、表（ふみ）を奉って述べた。「百済王　臣明と、安羅にいるもろもろの倭の臣ら、任那のもろもろの国の旱岐らとともに奏上いたします。斯羅（しらき）は無道をもって、天皇を畏れず、狛(こま)と心をひとつにして、海の北の弥移居（みやけ）を滅ぼそうとしております。臣ら、ともに相談して、有至臣（うちのおみ）らを遣わして、軍士をあおぎ乞うて、斯羅を征伐うたれたい」と述べた。&amp;lt;/ref&amp;gt;。日本音は斯羅も「シラ」なので、新羅の異借字として何ら疑いのないところだが、「斯」の朝鮮音は사（sa）なので、方言借字としても新羅とは大きくかけ離れている。そのため、朝鮮でもこれについて説を述べている人がいる。&lt;br /&gt;
:鎮書謹案。新羅史宣帝五鳳元年。六部人推尊赫居世為君長。称以斯盧。居于金城。蓋斯盧、斯羅、新羅、新盧、皆云新国者也。東語新曰斯伊。国曰羅。盧羅音相類。斯新義則同也。今之慶州即其地耳。（海東繹史続）&amp;lt;ref&amp;gt;鎮書が謹んで考えますに、『新羅史』宣帝の五鳳元年（紀元前57年）、六部の人が推挙して赫居世を主君とした。斯盧と称し、金城に都を置いた。おそらく、斯盧・斯羅・新羅・新盧はみな「新国」と言っているのである。東語で、「新」は「斯伊」といい、「国」は「羅」という。「盧」も「羅」も音は似ている。「斯」は「新」と意味が同じである。今の慶州がその地である。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;【原註】智証麻立干四年、群臣が上言して言うには、「始祖が創業して以来、国名が定まっておらず、斯羅と称したり、斯盧と称したり、新羅と言ったりしております。臣らが考えますに、「新」は徳業が日に新たになることであり、「羅」は四方を網羅するという意味です。すなわち、新羅が国号にふさわしいものです」と。……王はこれに従った。（『三国史記』羅紀）&amp;lt;br /&amp;gt;（25）斯盧国（『三国志』弁辰国名）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
::（備考）『海東繹史』七十巻は、李氏朝鮮の学者・韓致奫が編纂した。『海東繹史　続』十五巻は韓鎮書が編集した。致奫は正宗己酉に進士となった。鎮書はその甥である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すなわち、朝鮮方言・斯伊（say）は「新」の意味なので、「新」は「斯」の意訳であるという説である。もっとも理由のある説である。というのは、新羅という地名は慶州以外にも所々にある。ことに著名な郡県名としては、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 新良県　もと百済沙尸良県　景徳王改名　今の黎陽県&lt;br /&gt;
* 新邑県　もと百済新村県　景徳王改名　今の保寧県&lt;br /&gt;
* 新平県　もと百済沙平県　景徳王改名　今もこれによる（以上『三国史記』地理）&lt;br /&gt;
* 沙尸良県　沙羅ともいう&lt;br /&gt;
* 新村県　沙村ともいう（以上『郡県沿革表』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
右はいずれも忠清南道の県名であるが、黎陽の「新良」は「新羅」とまったく同名であって、その古名「沙羅」と同借字同名である（沙尸良が沙羅と同借字であるのは、甲戌「アヤ」の章に詳しい説明があるので参照のこと）。他の2県名の「新」も方言「沙」の意訳である。この黎陽の古名を三国志は「駟盧」としてある&amp;lt;ref&amp;gt;【原註】(29)児林国（大興）、（03）駟盧国（黎陽）（『三国志』馬韓国名）&amp;lt;/ref&amp;gt;。「駟」の日本音は「シ」であるが、朝鮮・中国ともに「サ」に近い音で、「斯盧」と同名である。『文徳実録』の[[沙羅真熊]]の沙羅も新羅である&amp;lt;ref&amp;gt;【原註】新羅人　沙羅真熊は新羅琴をよく弾くことができる。興世書主は従って伝習し、秘道を得た。（『日本文徳天皇実録』）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、「新羅」は「斯羅」の意訳名であって、かなり後代の名である。『三国史記』にも、智証麻立干のときに国名を新羅と定めたことが記載してあるのも、この消息をかたるものである。そうすると、『日本書紀』神代巻から「シラ」と称し、「サラ」と呼ばないのはなぜだろうか。新羅という国名は漢代以前に遡ることができないことを推測すれば、日本にて「シラ」と呼んだのは、神功皇后以後に新羅という国名を知った以後の追記と見るべきである。もし神代から実際語り部に伝えられた国名とすれば、「斯伊」の半切約音の「シ」なのだろう。韓語「新」の訓は「サイ」である。しかし、ここに「斯」「沙」の一字を当ててあるのは、適切な漢字音がなかったので「伊」を略して当てたものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今새（say）という語は左の意味に用いられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 새（say）：新（形容語）&lt;br /&gt;
* 샐（sail）：曙（動詞）&lt;br /&gt;
* 새벽（say piok）：晨（名詞）&lt;br /&gt;
* 새바람（say palam）：東風（名詞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いずれも同義である。この새（sai）の音を借りた字は「斯」「沙」である。それについて、日本では「栲衾（タクフスマ）」など白（シラ）の枕詞までも添えて称し、また「白」の訓借を新羅に当ててある場合もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:未定雑姓&lt;br /&gt;
:和泉国&lt;br /&gt;
:近義首（コムギノオビト）、新羅国主（シラキノコニキシ）、角折王（ツヌヲリノオウ）&lt;br /&gt;
::近義は、和名抄泉水国日根郡近義郷がある。行基年譜にも、日根郡近木郷と見える。和泉皇別に聟木（ムコギ）という氏がある。聟木（ムコギ）はこの地に五加（ムコギ）がよく生えることから名付けられたというので、近義はこの地に五加（ムコギ）がよく生まれることから追った名だという。そうすると近義は胡義（コギ）と訓ずるべきだろう。&lt;br /&gt;
::角折王はものに見えず、三代実録貞観十五年九月に、肥前国白角折（シラキツヌヲリ）神というのがある。白は新羅であって、新羅の角折神すなわち角折王ではないか。大変よく似た名を持っており、いささか驚くのみである。（『新撰姓氏録考察』）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被全国の「白角折神」の白をシラキ（新羅）と読ませてあるものはこれである。朝鮮には、白をシラ・シロ・シルなどと訓ずる語は一切ない。新羅古方言に同語があるかどうかは一切不明である。ゆえに、一疑問として後来の識者に質す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====（備考）====&lt;br /&gt;
『姓氏録』「近義首」の「近義」は新羅の地名と思われる。おそらくは迎日県の古名を指したものではないか。&lt;br /&gt;
:勤者国（『三国志』秦韓国名）&lt;br /&gt;
:臨汀県。もと斤烏支県。景徳王が改名。今の迎日県。（『三国史記』地理）&lt;br /&gt;
『三国志』の「勤者」は『三国史記』の迎日の古名「斤烏支」を指したもので、「斤烏支」の「烏」は語尾半切母韻に挿入しているだけであって、その有無は問題ではない。たとえば『三国史記』全羅南道・珍原の古名「丘斯珍兮」を『三国志』馬韓国名で「白斯烏旦国」とし、李勣奏状には「貴旦」とあるようなものである。ゆえに、迎日の古名「斤烏支」も単に「斤支」と書けるもので、『三国志』辰韓国名の「勤耆国」と同名となるわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==注釈==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:研究書|ちようせんこくめいこう]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>シラキのコホリのツカサ</name></author>
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