<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
	<id>https://www.shiraki-history.com/w/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E6%96%B0%E7%BE%85</id>
	<title>新羅 - 版の履歴</title>
	<link rel="self" type="application/atom+xml" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E6%96%B0%E7%BE%85"/>
	<link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E6%96%B0%E7%BE%85&amp;action=history"/>
	<updated>2026-04-16T23:43:36Z</updated>
	<subtitle>このウィキのこのページに関する変更履歴</subtitle>
	<generator>MediaWiki 1.42.1</generator>
	<entry>
		<id>https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E6%96%B0%E7%BE%85&amp;diff=36&amp;oldid=prev</id>
		<title>シラキのコホリのツカサ: ページの作成:「&#039;&#039;&#039;新羅&#039;&#039;&#039;（しらぎ）は、古代、朝鮮半島南東部にあり、後に朝鮮半島全域を支配した国家である。新羅郡は、新羅出身の渡来人を武蔵国に置いたことに由来する。  ==歴史==  正確な建国の年代は不明である。『三国史記』「新羅本紀」の記載は伝説的であり、史実と認めるには難がある。中国の『資治通鑑』巻104・太元2（377年）年条に、「新羅…」</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E6%96%B0%E7%BE%85&amp;diff=36&amp;oldid=prev"/>
		<updated>2024-09-23T11:22:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成:「&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;新羅&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（しらぎ）は、古代、朝鮮半島南東部にあり、後に朝鮮半島全域を支配した国家である。&lt;a href=&quot;/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E9%83%A1&quot; title=&quot;新羅郡&quot;&gt;新羅郡&lt;/a&gt;は、新羅出身の渡来人を&lt;a href=&quot;/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD&quot; title=&quot;武蔵国&quot;&gt;武蔵国&lt;/a&gt;に置いたことに由来する。  ==歴史==  正確な建国の年代は不明である。『三国史記』「新羅本紀」の記載は伝説的であり、史実と認めるには難がある。中国の『資治通鑑』巻104・太元2（377年）年条に、「新羅…」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;新羅&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（しらぎ）は、古代、朝鮮半島南東部にあり、後に朝鮮半島全域を支配した国家である。[[新羅郡]]は、新羅出身の渡来人を[[武蔵国]]に置いたことに由来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==歴史==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正確な建国の年代は不明である。『三国史記』「新羅本紀」の記載は伝説的であり、史実と認めるには難がある。中国の『資治通鑑』巻104・太元2（377年）年条に、「新羅が高句麗とともに前秦に朝貢した」という記事が文献上の初出であることから、4世紀末には建国されていたことがわかる。その当時は、北の大国である高句麗に従属する立場だった。また、西の百済・伽耶諸国、海の向こうの倭とは対立していたようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
智証麻立干は500年に即位し、不定であった国号を正式に新羅とし、王号を麻立干から「王」へと変更した。この後、新羅は国力を拡大し、朝鮮半島は三国時代に入る。その間、中国では隋、唐が建国され、朝鮮半島の諸国は隋・唐に朝貢した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
642年、高句麗で淵蓋蘇文がクーデターを起こして実権を握った。百済では前年に即位した義慈王が新羅に侵攻し、大耶城が陥落するなど、新羅の領土は大きく奪われた。643年には高句麗と百済が和睦を結び、さらに倭国とも連携しようとしたため、新羅は国際的に孤立することとなった。そこで、新羅は唐と結ぶことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
660年に唐・新羅連合軍が百済を攻め、滅亡させた。さらに663年の白村江の戦いで、百済の遺臣を支援した倭国軍が敗北し、百済は完全に滅亡した。唐はさらに668年、高句麗を滅亡させる。こうして新羅は勢力を守ったが、朝鮮半島北部には渤海が建国され、高句麗の遺民などが集った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このあとの統一新羅時代には国力は安定する。日本に&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;[[新羅郡]]&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;が置かれたのもこの時代、753年のことだった。しかし、やがて内乱が続く混乱の時代となる。892年に南西部に後百済、901年に北部に後高句麗が建国され、後三国時代に入った。後高句麗の武将によるクーデターで高麗が建国された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
935年、新羅の敬順王が高麗に帰順。これにより新羅は滅亡した。高麗は936年に後百済を滅亡させ、朝鮮半島は高麗によって統一された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==国号==&lt;br /&gt;
当初は「斯蘆」（しろ、サロ）と称していたが、503年に「新羅（シルラ）」を正式な国号とした。倭では「シンラ」と呼ぶこともあったが、シラキ、シラギと呼ぶようになる。「キ（ギ）」がついた理由は明らかではないが、城＝キの可能性もある一方、ギは百済人による蔑称との説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:歴史|しらき]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>シラキのコホリのツカサ</name></author>
	</entry>
</feed>