<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
	<id>https://www.shiraki-history.com/w/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E9%89%84%E9%81%93</id>
	<title>川越鉄道 - 版の履歴</title>
	<link rel="self" type="application/atom+xml" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?action=history&amp;feed=atom&amp;title=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E9%89%84%E9%81%93"/>
	<link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E9%89%84%E9%81%93&amp;action=history"/>
	<updated>2026-04-17T01:24:54Z</updated>
	<subtitle>このウィキのこのページに関する変更履歴</subtitle>
	<generator>MediaWiki 1.42.1</generator>
	<entry>
		<id>https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E9%89%84%E9%81%93&amp;diff=194&amp;oldid=prev</id>
		<title>シラキのコホリのツカサ: ページの作成:「川越鉄道は、明治二十七年（1894年）に国分寺・久米川間、明治二十八年（1895年）3月21日に久米川・川越間が開通した。この路線は、現在の西武新宿線の一部および西武国分寺線の一部となっている。  明治二十八年（1895年）には、川越から東京・万世橋までの延長線を出願している。この計画は不認可となるが、新河岸川舟運を鉄道に置き換え…」</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.shiraki-history.com/w/index.php?title=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E9%89%84%E9%81%93&amp;diff=194&amp;oldid=prev"/>
		<updated>2025-11-03T14:41:07Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成:「川越鉄道は、明治二十七年（1894年）に国分寺・久米川間、明治二十八年（1895年）3月21日に久米川・川越間が開通した。この路線は、現在の&lt;a href=&quot;/w/index.php?title=%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E6%96%B0%E5%AE%BF%E7%B7%9A&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;「西武新宿線」 (存在しないページ)&quot;&gt;西武新宿線&lt;/a&gt;の一部および西武国分寺線の一部となっている。  明治二十八年（1895年）には、川越から東京・万世橋までの延長線を出願している。この計画は不認可となるが、新河岸川舟運を鉄道に置き換え…」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;川越鉄道は、明治二十七年（1894年）に国分寺・久米川間、明治二十八年（1895年）3月21日に久米川・川越間が開通した。この路線は、現在の[[西武新宿線]]の一部および西武国分寺線の一部となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十八年（1895年）には、川越から東京・万世橋までの延長線を出願している。この計画は不認可となるが、新河岸川舟運を鉄道に置き換えることを想定したこの計画はその後の[[中武鉄道]]・[[毛武鉄道]]などにも引き継がれ、[[東上鉄道]]において実現されることとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==川越鉄道の開通==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川越鉄道は入間・高麗・比企の諸郡から既成鉄道に連絡しようとしたものであるが、日本鉄道会社線に接続するには荒川を渡る必要がある。一方、甲武鉄道会社（現在の中央線）に連絡する方が工事が容易であると考えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十三年（1890年）12月23日、発起人高麗郡柏原村増田忠順ほか38名は、川越を起点とし、入間川・所沢を経て国分寺に至り、甲武鉄道会社の線に連絡する川越鉄道会社を計画した。距離は18マイル半、資本金は25万5000円である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十四年（1891年）4月、仮免状の下付があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十五年（1892年）6月21日、免許状が下付され、8月には会社の本社を川越町に置いた。明治二十六年（1893年）に工事に着手。ただし、この工事は甲武鉄道会社に委託している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十七年（1894年）12月21日、国分寺・久米川間（5マイル）が開通、久米川に仮停車場を置いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十八年（1895年）3月21日、久米川・川越間（43マイル40チェーン）が開通、久米川にあった仮停車場を撤去した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===川越鉄道の駅===&lt;br /&gt;
★★は明治二十七年の開通時の駅、★は明治二十八年3月21日の久米川・川越間開通時の駅。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 川越停車場★（現在の本川越駅）&lt;br /&gt;
** 南大塚停車場（明治三十年11月14日～）&lt;br /&gt;
* 入間川停車場★（現在の狭山市駅）&lt;br /&gt;
* 入曽停車場★&lt;br /&gt;
* 所沢停車場★&lt;br /&gt;
* 久米川仮停車場★★&lt;br /&gt;
** 東村山停車場（明治二十八年8月、久米川仮停車場から南寄りに開業）&lt;br /&gt;
* 小川駅★★&lt;br /&gt;
* 国分寺駅★★&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===延長線不許可===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十八（1895年）年12月10日、川越鉄道会社 専務取締役から逓信大臣・白根専一宛に提出された「鉄道線路延長願」で、川越から東京市万世橋に至る線路延長の免許を申請した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「鉄道線路延長願」では、路線延長を必要とする理由について、以下のように述べている（現代語訳）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　弊社鉄道については甲武鉄道線国分寺駅より埼玉県入間郡川越町に達する18哩半であり、開業以来日に日にだんだん旺盛の状態を呈しており、沿線地方もまた急速に物産需給が頻繁になっております。そして、川越は埼玉県下の枢要な地区であり、物貨集散の中心であります。しかし、弊社鉄道は川越にとどまっておりますので、同地方の貨物を東京に運送したり、東京から同地方に運送しようとすると、弊社線および甲武線35マイルあまりを迂回せざるを得ません。そうでなければ牛馬の背または川舟に頼るほかありません。これは未だ同地方に充分な利便を与えることができていないということであり、公共事業上の遺憾は少なくありません。つきましては、弊社はつとに川越より大宮に通ずべき線路について踏査をタマしましたところ、その距離はわずか8マイルほどでありますが、共工費は非常に巨額を要し、収支はもとより償還できるとは申せません。このため、百方精査の末、さらに川越より駒林村・志木町・下新倉村・上板橋町などを経て大塚辻町より東京市内に入り、神田川に出て万世橋付近に至る一線を選定いたしました。すなわち、そのマイル数は22マイル間に延長線を布設し、もって益々この地方と東京間における運輸交通の利便を加え、永く公共事業の実を挙げ申したいという精神にてございます。この延長線は川越・東京間の最短距離であり、他日には中仙道および秩父方面へ連絡する線路を敷設いたしましたら、これらの線路に対し、東京に達する唯一の総合線となるであろうものであって、その利便は一層加わるものであると確信しております。要するに、右延長線を敷設することは、目前の公共の利便を増すのみならず、弊社の将来の利害を慮ってもまた益々必要なことであると奉り存じます。もし本線またはその比較並行の線路を他会社の所有に期するなどのことがありましたらならば、たちまち弊社の命脈の安危に関わりますので、何とぞ特別のご詮議をもって願意を至急ご認許いただき、仮免状をご下付くだされたく、本日9日株主臨時総会の決議に基づき別紙目論見書並びに略図をあい添え、この段を願い奉るものであります。（『鉄道会議議事速記録』第七回第一〇号、明治二十九年三月三十日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、翌二十九年（1896年）4月、難聴届（ききとどけがたし）の指令を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===甲武鉄道への営業委託===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治二十七年（1894年）12月以来、会社の営業を甲武鉄道株式会社に委託していた。会社の所在地も、明治二十八年（1895年）1月4日に東京市麹町区飯田町の甲武鉄道株式会社の構内に移した。営業委託契約は明治三十三年（1900年）12月施設鉄道法第26条により認可を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明治三十九年（1906年）に甲武鉄道が国有になり、同年9月末日を限りとして委託契約を解いた。同時に会社も川越町に移転した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==会社の消滅==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大正九年（1920年）、武蔵水電に吸収合併された。武蔵水田は、大正二年（1913年）に[[川越電気鉄道]]と合併しており、大正十年（1921年）には西武軌道も吸収合併している。大正十一年（1922年）、鉄道・軌道事業は新設の武蔵鉄道に譲渡されることとなったが、武蔵鉄道は[[西武鉄道]]と改称して設立された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和二十年（1945年）、[[武蔵野鉄道]]が西武鉄道・食糧増産を吸収合併し、西武農業鉄道に改称した。翌昭和二十一年（1946年）11月、現在の[[西武鉄道]]に改称した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:過去の鉄道路線|かわこえてつとう]]&lt;br /&gt;
{{鉄道}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>シラキのコホリのツカサ</name></author>
	</entry>
</feed>